「ブルーノ・マデルナ」の版間の差分

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=== 第三期 ===
前述のオペラ完成後またしてもオペラの委嘱が舞い込んでおり、これにも「サテュリコン」で答えた彼は多忙が祟って肺がんで急逝してしまう。全楽器を投入したトゥッティが聞き物であった彼も、「クヮドリヴィウム」や「オーボエ協奏曲第三番」ではぽつぽつと響きのない短い音が支配的になるシーンがあり、晩年に入っても更なる作風の展開が予想された矢先の死であった。この時期には創作初期でも見られた「多様式主義」が流行となることを見切り、早速1970年代初頭でこの路線に鞍替えしていた。
 
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