「ブーンドックス (漫画)」の版間の差分

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== 歴史 ==
第1話はジェイソン・ブレアが編集する雑誌ザ・ダイヤモンドバックに連載され、1話につき30ドルものギャラがマックグルーダーに支払われた(ちなみにこの額は、他の漫画家のギャラより17ドルも高かった)。しかし1997年3月18日、マックグルーダーはザ・ダイヤモンドバックでの連載を終了した。この2週間前、技術的なミスで同紙に『ブーンドックス』が掲載されず、掲載されているはずの場所には何の説明もなしに、ただ"OOPS"とだけ書かれていた、という事件があった。ダイヤモンドバック側が謝罪を拒否し<ref>Litten, Kevin, [http://www.diamondbackonline.com/media/storage/paper873/news/2005/11/07/NewsonCampus/A.Little.Huey.Himself-2323286.shtml?norewrite200611271506 "A little Huey himself"]. ''The Diamondback,'' Nov. 7, 2005. Retrieved Dec. 3, 2006.</ref>、マックグルーダーはこの作品を他の雑誌に連載することになる(後にNYタイムズの記者となったブレアによる記事捏造が2004年に暴露された際、マックグルーダーは作品でブレアを茶化した)。
 
マックグルーダーは1997年3月18日、ザ・ダイヤモンドバックでの連載を終了した。この2週間前、技術的なミスで同紙に『ブーンドックス』が掲載されず、掲載されているはずの場所には何の説明もなしに、ただ"OOPS"とだけ書かれていた、という事件があった。ダイヤモンドバック側が謝罪を拒否し<ref>Litten, Kevin, [http://www.diamondbackonline.com/media/storage/paper873/news/2005/11/07/NewsonCampus/A.Little.Huey.Himself-2323286.shtml?norewrite200611271506 "A little Huey himself"]. ''The Diamondback,'' Nov. 7, 2005. Retrieved Dec. 3, 2006.</ref>、マックグルーダーはこの作品を他の雑誌に連載することになる(後にNYタイムズの記者となったブレアによる記事捏造が2004年に暴露された際、マックグルーダーは作品でブレアを茶化した)。
 
2003年秋、マサチューセッツ州ボストンを拠点に活動するアーティスト、ジェニファー・センがマックグルーダーに代わって『ブーンドックス』の作画関係の作業を担当するようになった。[[ザ・ニューヨーカー]]の記者によるインタビューで、マックグルーダーは「何か上げるべきものがあるとしたら、それは美術だろう。俺は絵描きというより物書きというのがふさわしい」と答えた。2004年後半、カール・ジョーンズがセンからイラストレーターの役割を引き継いだ。パブリック・エネミー#2という作品集の序文においてマックグルーダーは「オレは作画関係を手伝ってもらうために専門家を雇った。みんなは俺が漫画を描くのをやめてしまったと思っているけど、実際のところはそうじゃない。今日まで、自分が手を加えていない『ブーンドックス』は一話もない―オレはまだヒューイ、ライリー、シーザー、グランダッドの細かいところを膨らまし続けている。俺はまだこの作品の一コマ一コマを調べ続けている。俺はまだこの作品がどんな風にみえるか気になるし、これからもそうだろう。」と記した。