「京阪1800系電車 (初代)」の版間の差分

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*第1次車(1953年7月竣工)
**1800型1801・1802:川崎車輌(現・[[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]])
 
*第2次車(1954年4月竣工)
**1800型1803 - 1809:川崎車輌
**1880型1881 - 1883:ナニワ工機(→アルナ工機→[[アルナ車両]])
 
全車竣工直後の編成は下記の通り。
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=== 台車 ===
[[鉄道車両の台車|台車]]は1700系と比較して中日本重工業(MD([[三菱重工業MD形台車|MD形台車]])が撤退したため、増備の度に[[汽車製造]]と[[住友金属工業]]による競作となり、両社が創意工夫の限りを尽くした以下の各台車を装着する。いずれも枕ばねにコイルばねを用いている。また、当時としては先進的な一体圧延車輪の試用も行われている。
 
;汽車製造
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*:1801に装着。[[ボルスタアンカー]]を備えるもののペデスタルを使用するシンプルな軸ばね式の軸箱支持機構を備え、一見ごく平凡な外観の台車である。もっとも、全溶接構造で2,000mmと1700系用の各台車と比較して150mm短縮された軸距など、当時最新の設計による軽量構造が採用されている。
*KS-9
*:1803に装着。日本初の[[シンドラー式台車]]である。これはウィングバネ式台車の一種であり、ペデスタルを軸箱左右に設置した油浸式の金属製二重円筒による案内機構で置き換え、それぞれの外側を覆うように角形断面のコイルばねを設けて軸ばねとする、円筒案内式台車の一種である。これは[[近畿車輛]]が[[スイス車両エレベーター製造|スイス・カー・アンド・エレベーター]]社と提携して開発を進めていた[[シュリーレン式台車]]などと同様、元々は[[スイス連邦鉄道]]の軽量客車用として1930年代に開発されたもので、それを汽車製造が自社の台車設計ノウハウを盛り込んだ上で高速電車向けにアレンジしたものである。先行するKS-6Aでは単に形鋼などによる部材を溶接した全溶接構造であったが、このKS-9ではプレス材を多用して部材の一体化することで、大幅な工数の削減とさらなる軽量化を実現している。なお、このシンドラー台車は後に[[京阪1900系電車|1810系]]用KS-15を経て日本初の実用空気ばね台車であるKS-50、更にはその改良量産型であるKS-51・KS-56・KS-70などへ発展することとなる。
*KS-10
*:1804 - 1809に装着。KS-9とは異なり、1700系第3次車用KS-5と同系のペデスタルを備える通常のウィングばね式台車に逆戻りしている<!--実物写真を見ればすぐわかりますが、これはシンドラー式ではありません-->。ただし、側枠構造はKS-9に準じて側梁が直線的で単純な形状のプレス材溶接構造となり、揺れ枕吊りで下揺れ枕を吊り下げる近代的な設計に進化している。
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除籍後、1801・02は数年間は[[寝屋川車庫]]にて車体を保管し、復元保存も検討されていたが、結局保存計画は中止となり、2両とも解体されている。また1804の車体は電動貨車(救援車)101に、1808の車体が貨車(救援車)111に使用されたが、両車共2000年12月末で廃車解体された。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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* 福原俊一『JTBキャンブックス 日本の電車物語 旧性能電車編 創業時から初期高性能電車まで』、JTBパブリッシング、2007年
* 『鉄道ピクトリアル No.822 2009年8月臨時増刊号 <特集>京阪電気鉄道』、電気車研究会、2009年
 
== 脚注 ==
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<!--{{京阪特急}}-->