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[[en:Battle of Leyte Gulf]]
 
'''レイテ沖海戦'''('''レイテおきかいせん''')とは、1944年10月に[[レイテ島]]沖で行われたアメリカ軍による[[フィリピン]]奪還作戦の阻止を目的とした[[日本海軍]]と[[アメリカ海軍]]との間で行われた戦闘のことを示す。日本海軍はこの海戦を最後に、組織的抵抗を終えたとも言える。
 
==背景==
フィリピン奪還を目的としたアメリカ海軍輸送船団を攻撃するために日本海軍は[[戦艦]][[大和 (戦艦)|大和]]を中心とした水上砲撃部隊をレイテ島に送り込んだ。しかし[[空母機動部隊]]に対し戦艦が航空支援なしに突っ込むなど自殺行為に等しいため、日本軍は苦肉の策として[[小沢治三郎]]中将率いる空母機動部隊を囮にして、アメリカ軍の[[ハルゼー]]大将率いる第38任務部隊を水上砲撃部隊から引き離すという戦術を取った。
ところが、栗田艦隊出港直後に旗艦の重巡[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]さらに重巡[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]がアメリカ海軍の[[潜水艦]]ダータス (USS Dace, SS-247)の雷撃を受け沈没、旗艦を戦艦大和に移した。一方、志摩清英中将率いる第二遊撃部隊と小沢治三郎中将率いる機動部隊、先にレイテ近海に到着し栗田艦隊の到着を待っていた西村祥治中将率いの第三部隊(第一遊撃部隊所属)を主力部隊と思い込んだアメリカ軍は、これを撃滅すべく戦力を集中させた。しかし、レイテ湾に近づく度にアメリカ軍の空襲が激しくなり艦艇への被害が続出、戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]を喪失した栗田中将は「米軍の主力部隊は囮艦隊ではなく自分たちに向かって来ている」と誤認し、ここで一回目の反転を命じた。
 
==スリガオ海峡夜戦==