「マグヌス・リンドベルイ」の版間の差分

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'''マグヌス・リンドベルイ'''(Magnus Lindberg,[[1958年]][[6月27日]] - ,発音はマニュス・リンドベリと聞き取られることが多い)は[[フィンランド]]の[[現代音楽]]の[[作曲家]]、[[ピアニスト]]。現代音楽の振興と宣伝を目的としたグループ「耳を開け! Korvat auki!」のメンバーとして活躍。彼のほか、[[カイヤ・サーリアホ|サーリアホ]]や[[エサ=ペッカ・サロネン|サロネン]]らがこのグループのメンバーであった。[[1986年]]に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]作曲家国際会議で第1位受賞後、国際的な委嘱に恵まれた活動を精力的に行っている。来日して[[武満徹作曲賞]]の審査員を務めてもいる。また、グループ「耳を開け!」時代からそうであったように、自作のピアノ協奏曲のピアノパートを担当するほどのピアノの腕前の持ち主でもある。
 
== 作風 ==
1980年代に[[エレクトロニクス]]の経験を経た後才能が爆発的に開花し、[[倍音]]成分を計算しつくした[[ソフトウェア]]の開発とともにフィンランドのこの世代の同僚を完全に駆逐してしまっ作曲家の中でも抜きんで存在となる。[[アンサンブル]]のための「UR」、[[オーケストラ]]のための「KINETICS」、[[アコーディオン]]ソロのための「リードの遊び」などは書法の冴えに加えて血が吹き出たかのような眩い色彩感に溢れる傑作揃いである。[[スペクトル楽派]]からの影響を感じさせながらもそれのコピーにならなかったのは、単純な基音上の倍音に固執せず様々な音場を自由自在に駆け回る遊戯性にあったからである。このセンスはかつての[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]を濃厚に想起させる。この才能をいち早く日本で評価したのが[[武満徹]]であり、まだ若いリンドベルイに東洋初の委嘱を授けた。リンドベルイも「武満さんは世界でもいち早く評価してもらった作曲家の一人なので、この恩を死ぬまで忘れない」と語っている。
 
スペクトル楽派の流行が終わると、「クラリネット五重奏曲」以後は古典音楽からの影響が顕著となり、遂には「ネオ・シベリウス楽派」などと称されるような流麗な書法に変化した。「クラリネット協奏曲」、「ピアノ協奏曲」、「オーケストラのための協奏曲」などはそうした書法で書かれている。だが、彼本人は「現代音楽の凶暴なノイズ性は大好きであり、たとえ自作がクラシックに傾斜しようともそのようなセンスは内包されているはずだ」と強調している。「20世紀的観点の現代音楽の作曲家」的な視点が、ともすると前時代的な印象も与える今、現在の彼の方向性は、[[エサ=ペッカ・サロネン|サロネン]]、[[ヨウニ・カイパイネン|カイパイネン]]、[[ジョン・アダムス]]、[[スティーヴ・ライヒ|ライヒ]]、等の方向性と共に注目されていると言える。