「田中一徳」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
{{Infobox baseball player
|選手名 = 田中 一徳
|所属球団 =
|背番号 =
11 ⟶ 10行目:
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1981|10|28}}
|没年月日 =
|身長 =
|体重 =
|利き腕 = 右
|打席 = 左
18 ⟶ 17行目:
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1999}}
|ドラフト順位 = ドラフト1位
|初出場 = 2000年4月1日
|最終出場 = 2004年
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[PL学園中学校・高等学校|PL学園高等学校]]
* [[横浜ベイスターズ]] (2000 - 2006)
* [[ヨーク・レボリューション]] (2007 - 2008)
|選出国 =
|選出年 =
32 ⟶ 31行目:
== 来歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[PL学園中学校・高等学校|PL学園高校]]2年時
=== プロ入り後 ===▼
1年目の{{by|2000年}}から一軍出場を果たし、プロ初ヒットも記録している。また、[[フレッシュオールスターゲーム]]にも出場した。{{by|2002年}}に主にレフトや代走要員として一軍に定着、この年自己最多の112試合に出場。{{by|2004年}}にそれまでの[[スイッチヒッター|両打ち]]をやめ左打席に専念した。{{by|2005年}}はチームが3年連続の最下位でチーム改革が進んだことや、[[野中信吾]]ら俊足のライバルの加入・台頭もあり、自身初のシーズン一軍出場なしに終わる。
翌
▲===プロ入り後===
[[2007年]]、アメリカ[[独立リーグ]]の[[アトランティックリーグ]]に加盟している[[ヨーク・レボリューション]]に入団。背番号は、日本時代と同じく'''9'''、守備位置は主にレフトでスタメン出場も多く、最終的に110試合に出場。成績は打率.251、打点31、盗塁18を記録した。[[2008年]]も同チームに在籍。しかし出場試合数は57試合と前年より半減。成績も打率.226、打点3、盗塁8と落としてしまった。同年11月に開催された[[12球団合同トライアウト]]に参加するが5打数でノーヒットに終わる。この時[[競輪選手]]のスカウト活動に訪れていた[[中野浩一]]には「ゴムまりのような肉体で競輪選手向きの体つき」として注目された。▼
結局獲得する球団は現れなかったため現役引退を決意し、その旨をPL学園の先輩である[[桑田真澄]]に報告した。この様子は
▲翌[[2006年]]も一軍出場はなく9月に戦力外通告を受け退団。同年の[[12球団合同トライアウト]]に参加するが、獲得する球団は無くアメリカに渡る。この様子はテレビ番組で特集された(後述)。
▲[[2008年]]も同チームに在籍。しかし出場試合数は57試合と前年より半減。成績も打率.226、打点3、盗塁8と落としてしまった。同年11月に開催された[[12球団合同トライアウト]]に参加するが5打数でノーヒットに終わる。この時[[競輪選手]]のスカウト活動に訪れていた[[中野浩一]]には「ゴムまりのような肉体で競輪選手向きの体つき」として注目された。
▲結局獲得する球団は現れなかったため現役引退を決意し、その旨をPL学園の先輩である[[桑田真澄]]に報告した。この様子は[[TBSテレビ|TBS]]の『[[NEWS23]]』で放映された。桑田からは「引退でもそれはマイナスということではないし、野球で学んだことを次のステップで生かしていけばいい」という言葉をかけられた。
== 詳細情報 ==
68 ⟶ 48行目:
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2000}}
|rowspan="5" style="text-align:center;
|37||25||24||5||4||0||0||0||4||0||0||2||0||0||1||0||0||10||0||.167||.200||.167||.367
|-
88 ⟶ 68行目:
=== 記録 ===
* 初出場:2000年4月1日、対[[阪神タイガース]]2回戦
* 初安打:2000年4月22日、対[[中日ドラゴンズ]]4回戦
* 初
* 初
* 初
=== 背番号 ===
* '''9''' (2000年 - 2008年)
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[兵庫県出身の人物一覧]]
* [[横浜ベイスターズの選手一覧]]
{{横浜ベイスターズ1999年ドラフト指名選手}}
{{DEFAULTSORT:たなか かすのり}}
[[Category:日本の野球選手]]
|