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m 鎌田先生は出家
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#[[出家]]をせずに[[家庭]]において[[修行]]を行う[[仏教]]の[[信者]]。またそこから転じて[[戒名]]の末尾につける尊称ともなった。
 
居士の語源は「(家に)居(を)る士」であり、仕官をしない読書人の意である。「処士」に同じ。古く『[[礼記]]』玉藻篇に「士」(仕官した人)と対比して「士練帶率下辟,居士錦帶」と見える。後にこれが転じて、出家せず、家にあって修を重ねる仏教者の意味で用いられるようになった。普通の信者と異なる点は、仏教学の知識・実践において僧侶に準ずる、或いは匹敵する程の力量を持っている事である。転義での用例は、『[[維摩経]]』に「維摩詰、居家学道、号称維摩居士」(維摩詰は在家のままで仏道を学んだ。そこで維摩居士と称された)とあるのが古い。実在の人物として確認が出来る者としては、はやく『南史』に虞寄が「居士となった」という記述が見える(虞寄伝)。
 
== 歴史 ==
居士の存在は、[[唐代]]中期に[[科挙]]の普及によって[[士大夫]]階級が成立し、[[白居易]]や[[蘇軾]]などそれら士大夫が仏教に興味を持ち始めてから現れるようになり、唐代後期には前出の龐居士の語録が編集され、[[宋代]]には『嘉泰普燈録』に僧侶の伝記と共に[[張商英]]など著名な居士の行状が収録されるようになり、更に[[明代]]になると、居士の行状のみを集めた『居士分燈録』が編集され、[[清代]]に至ると、衰退した出家教団に変わって仏教復興運動を展開するなど、仏教発展の一角を担うようになった。
 
== 日本の居士 ==
[[日本]]における著名な居士は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[茶人]] [[千利休]]である。利休は当初、千宗易と名乗っていたが、[[織田信長]]の茶頭となり、次いで[[関白]][[豊臣秀吉]]に仕えて、秀吉の宮中献茶に奉仕し、その際、[[正親町天皇]]より利休居士の号を与えられた。
 
後代になると、江戸時代の剣豪 [[山岡鉄舟]]や仏教学者の[[鈴木大拙]]、[[西田幾多郎]]、[[久松真一]]、[[鎌田茂雄大内青巒]]などが居士号を以て称されるようになり、現在も居士号を取る程の修行を積んだ人物の中には、[[剣道]]や[[弓道]]の達人が多い。
 
== 戒名としての居士 ==
なお、[[戒名]]における居士号は、出家者の[[戒名|法名]]の敬称の1つであり、女性では'''大姉'''がこれに該当する。[[江戸時代]]、庶民の使用は禁じられていたといわれるが、庶民に対しても居士・大姉が用いられ逆に武士階級でも[[信士]]・信女が付いている場合が多いため、明確な基準及び根拠は無いとみなされている。
 
==関連項目==
 
*[[戒名]]
*[[称号]]