「デニス・メンショフ」の版間の差分

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そして最終日前日の第19ステージ、メンショフが今年のツールの中で自分にとって絶好のチャンスであると考えていた52kmの個人タイムトライアルでは「人生で最高のレースだった」と述べるほどの快走をみせ、[[サムエル・サンチェス|サムエル・サンチェス]]を逆転して総合3位となり、ロシア人選手として初めてツール・ド・フランス総合表彰台へ上ることができた。
 
===2011年 ~GEOX-TMC移籍、ツール出場を逃す~===
[[2011年]]、[[ジェオックス・TMC]]に移籍。
2011年シーズンは、移籍先の[[ジェオックス・TMC]]が[[ツール・ド・フランス|ツール・ド・フランス]]の招待を受けることができず、ジロやブエルタへの参加も不確定という状況下で始まった。
*[[ジロ・デ・イタリア 2011|ジロ・デ・イタリア]] 総合8位
「ツール不参加の決定をきいた瞬間は、大きな失望や驚きはなかったが、難しいと知りつつ希望も持っていたし、冬の間ツールのことばかり考えて練習していたので、折り合いをつけるのは困難だった。しかし決定を変えることはできない」(pelotonのインタビュー)
 
3月のブエルタ・ア・ムルシアでは総合3位という成績を残したが、その後はアレルギー疾患やインフルエンザなどの体調不良に悩まされ、[[ジロ・デ・イタリア 2011|ジロ・デ・イタリア]]では本人も不本意な総合8位に終わった。
2001年以来初めてのツール不参加となった7月には、サストレとともにツアー・オブ・オーストリアに初出場し、総合5位(サストレは3位)となっている。
 
8月から始まった[[ブエルタ・ア・エスパーニャ2011|ブエルタ・ア・エスパーニャ]]には、サストレが比較的好調であることや得意の個人タイムトライアルが一度しかないことから、エースナンバーは付けずに参加。
初日のチームタイムトライアルでGEOX-TMCは最下位から2番目となり、他の総合優勝候補たちに1分前後の差をつけられた。また第3ステージでは3度も自転車を交換するメカトラの不運に見舞われるなど、序盤は大きく出遅れた。
 
しかしチームメイトのファン・ホセ・コーボに総合上位の可能性が見えてきたことからアシストに転じ、山岳で集団を強力に牽引して何人かのライバルを引き離すなどの活躍をみせた。
そしてコーボの総合優勝とGEOX-TMCのチーム総合優勝に大きく貢献しただけでなく、本人も総合5位まで成績を上げることができた。
 
== 人物 ==
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*走りが守備的すぎるとの批判に対しては「自分は真のクライマーでもタイムトライアルスペシャリストでもない。ずっとこのように走ってきて、今良い状況にあるのだから、これでよいと思っている。皆それぞれ自分の走り方をしているだけ」と答えている。
 
*好きなレースは、グランツール以外では[[クラシカ・サンセバスティアン]](地元なので沿道に知人を多く見かけて楽しいとのこと)と[[リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ]]を挙げている。
 
 
== エピソード ==
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:2000年~2004年 バネスト
*(チーム名義:2000年 バネスト、2001~2003年 iバネスト.com、2004年 イリュス・バレアレス・バネスト)
:2005年~2010年 ラボバンク
:2011年~ GEOX-TMC
 
== 主な成績 ==
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*2009年 [[ファイル:Jersey pink.svg|20px]] ジロ・デ・イタリア総合優勝(2勝)
*2010年 ツール・ド・フランス総合3位
*2011年 ブエルタ・ア・エスパーニャ総合5位
※()内はステージ優勝数