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==東京経済雑誌==
経済雑誌社が発行し同社の主たる発行物である『東京経済雑誌』は日本で最初の経済専門雑誌である。1879年(明治12年1)1月に隔週刊で発行され、やがて週刊になる。[[1923年]]([[大正]]12年9)9月の廃刊まで、計2138号まで発行され<ref name="日本経済評論社">[http://www.nikkeihyo.co.jp/pages/data10 日本経済評論社-東京経済雑誌]</ref>。日本ではじめて[[アダム・スミス]]の『[[諸国民の富の性質と原因の研究|諸国民の富]]』<ref group="注釈">当時は『富国論』の名で刊行された。</ref>の翻訳出版を手がけた[[石川暎作]]は創刊当初より『東京経済雑誌』の編集にあたり、その社説を起草している
 
自由主義的な経済論・財政論を展開し正確な経済統計や市況を掲載することで読者の評価を得ていた。ライバル誌には[[犬養毅]]らを擁し、保護主義的経済論的な立場にある『[[東海経済新報]]』があり、たがいに論争をすることもあった<ref name="kotobank > 田口卯吉とは">[http://kotobank.jp/word/%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%8D%AF%E5%90%89 kotobank > 田口卯吉とは]</ref>。[[1890年代]]には綿花輸入税・綿糸輸出税にかかわる[[両税廃止運動]]に関して、賛成の立場をとった。なお、[[1890年]](明治23年)から[[1891年]](明治24年)にかけては、[[保護主義]]を掲げる[[大島貞益]]が『東京経済雑誌』誌上で両税廃止反対の論陣を張っている。
自由主義的な経済論・財政論を展開し正確な経済統計や市況を掲載することで読者の評価を得ていた。ライバル誌には
 
保護主義的経済論的な立場にある『[[東海経済新報]]』があり、論争をすることもあった。<ref name="kotobank > 田口卯吉とは">[http://kotobank.jp/word/%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%8D%AF%E5%90%89 kotobank > 田口卯吉とは]</ref>.
[[1900年]](明治33年)、田口卯吉の依頼を受け、田口の遠戚にあたる地理学者[[河田羆]]が、『経済雑誌社』に連載をはじめている。
 
明治から大正時代の経済史及び思想史の研究には重要な雑誌である<ref name="日本経済評論社"/>。
===復刻本===
1981-1996年にかけて日本経済評論社から東京経済雑誌の全巻2138冊の復刻版が発行される<ref name="日本経済評論社"/>。
 
== 脚注 ==
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