「テモテへの手紙一」の版間の差分

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{{新約聖書}}
『'''テモテへの手紙一'''』は[[新約聖書]]中の一書で、[[牧会書簡]]と呼ばれるものの一つ。伝統的に[[使徒]][[パウロ]]の手によるものとされてきた。本書は[[テモテ]]なる人物に対しての教会での儀式のやり方や教会の組織、共同体の責任者となる「監督」(Episcopi、[[司教]]の語源)や「奉仕者」(Diaconi、[[助祭]]の語源)に関するすすめが中心となっている。それだけでなく、誤りのない正しい信仰を保つことへの励ましと偽教師への警告も記されている。
 
高等批評の立場では「[[擬似パウロ書簡]]」と呼び真筆性が否定されている。信ぴょう性に関する否定側の陳述は以下のようになっている。本書に見られる文脈の乱れ、つながりのなさは[[自由主義神学]]の研究者たちに後世の挿入を疑わせることになる。たとえば6:20-21はシノペの[[マルキオン]]に言及しているともみえる内容であり、あきらかに後代の付加と考えら主張される。
 
保守的な[[福音派]]の聖書学者[[尾山令仁]]は、これがAD[[66年]]頃[[マケドニア]]で書かれたものであると考えている。<ref>『聖書の概説』尾山令仁著 羊群社</ref>
また、後代の付加と主張される6:20-21については、「反対論」を、ここでの意味で使用した最初の者が、マルキオンであった証拠がないこと、偽教師たちが自分たちの教えこそが「知識」であると主張していたことが、二世紀のグノーシス主義に限定される特徴でないことより、前述の主張に反論している。
 
高等批評の立場では「[[擬似パウロ書簡]]」と呼び真筆性が否定されている。信ぴょう性に関する否定側の陳述は以下のようになっている。本書に見られる文脈の乱れ、つながりのなさは[[自由主義神学]]の研究者たちに後世の挿入を疑わせることになる。たとえば6:20-21はシノペの[[マルキオン]]に言及しているともみえる内容であり、あきらかに後代の付加と考えられる。
 
信ぴょう性に関する肯定側の陳述は以下のようになっている。
2世紀の[[ムラトリ正典目録]]などの顕著な目録はテモテの2通の手紙を正典として挙げている。
また、この手紙は聖書の他の部分と調和して引用されている。
申命記19:15;25:4(テモ一5:18,19)、マタイ10:10;ルカ10:7(テモ一5:18)である。
さらに多くの聖句が、信仰に対する言及、正しい教理、振る舞い、祈りなどを強調している。<ref>『聖書に対する洞察 第2巻』 ものみの塔聖書冊子協会、1994年、282貢。</ref>
 
== 参考文献 ==