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'''パット・オハラウッド'''('''Pat O'Hara Wood''', [[1891年]][[4月30日]] - [[1961年]][[12月3日]])は、[[オーストラリア]]・[[メルボルン]]出身の男子[[テニス]]選手。本名は ''Hector Patrick O'Hara Wood'' (ヘクター・パトリック・オハラウッド)という。[[1920年代]]のオーストラリア・テニス界をリードした選手の1人で、[[全豪オープン|全豪選手権]]で男子シングルス2勝・男子ダブルス4勝を挙げ、[[ウィンブルドン選手権]]でも[[1919年]]の男子ダブルスと[[1922年]]の混合ダブルスで優勝した。兄の[[アーサー・オハラウッド]]([[1890年]] - [[1918年]])も[[1914年]]の全豪選手権男子シングルス優勝者であり、パットとアーサーは2人揃って全豪選手権の男子シングルスを制した唯一の「兄弟テニス選手」として知られる。妻の[[メリル・オハラウッド]]も著名な女子テニス選手だった。
== 概要 ==
パットとアーサーのオハラウッド兄弟は、[[オーストラリア]]の[[メルボルン]]で法律家の家庭に生まれた。母方の祖父は著名な判事のサー・エドワード・ダンダス・ホルロイド([[1828年]] - [[1916年]])である。[http://www.adb.online.anu.edu.au/biogs/A040464b.htm] 法廷弁護士であった父親のジョン・ジェームズ・オハラウッドが、(オーストラリアに[[テニス]]が伝えられた)ごく早い時期からテニスに熱中し、パットとアーサーが10歳ぐらいの頃にこのスポーツを紹介したという。弟のパットは、少年時代からテニスのみならず[[クリケット]]・[[フットボール]]・[[ボクシング]]など多種目のスポーツに優れ、[[メルボルン大学]]で法学を履修した。[[1914年]]に[[第一
第
3年後の[[1923年オーストラレーシアン選手権|1923年]]、オハラウッドは2度目の全豪単複制覇を達成した。この時はシングルス決勝戦の対戦相手と、ダブルス・パートナーがともに[[バート・セント・ジョン]]([[1879年]] - [[1932年]])であった。[[1925年オーストラレーシアン選手権|1925年]]に全豪男子ダブルスで4度目の優勝をした時は、彼のパートナーは[[ジェラルド・パターソン]]であった。彼は男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]においても、[[1922年]]と[[1924年]]の2度オーストラリア代表選手として出場し、通算「17勝6敗」(シングルス9勝5敗・ダブルス8勝1敗)の成績を残した。現役選手時代の[[1926年]]、オハラウッドは ''The World's Tennis Stars and How to Play the Game'' (世界のテニススターたちと、ゲームの方法)という題名の著書を出版した。
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パトリックと妻の[[メリル・オハラウッド|メリル]]は、1923年8月3日に結婚した。メリルは結婚当時、最初の夫と死別したやもめだったという。メリルは全豪選手権の女子ダブルスで[[1926年オーストラレーシアン選手権|1926年]]・[[1927年オーストラリア選手権 (テニス)|1927年]]の2度優勝した。夫がプロ転向した後の[[1932年オーストラリア選手権 (テニス)|1932年全豪選手権]]混合ダブルスで、メリルは[[日本]]の[[佐藤次郎]]と組んだ準優勝がある。現役選手時代は、パットとメリルが夫婦ペアで混合ダブルスを組んだ記録は残っていない。
オハラウッドは[[1930年]]にプロテニス選手となり、その後は「オーストラリア・ローンテニス協会」などで公認コーチの仕事に携わった。選手としての第一線から退いた後も、パットとメリルのオハラウッド夫妻はオーストラリア各地でテニスクラブの運営に尽力した。
== 主な成績 ==
* [[全豪オープン|全豪選手権]]
* [[ウィンブルドン選手権]]
: ([[全米オープン (テニス)|全米選手権]]男子ダブルス準優勝2度:1922年・1924年)
== 外部リンク ==▼
== 脚注 ==
<references/>
* {{Davis Cup|10004140|パット・オハラウッド}}▼
* {{ITF|m|10004140|パット・オハラウッド}}▼
* [http://etext.lib.virginia.edu/toc/modeng/public/TilTenn.html ローンテニスの芸術(英語)] [[ビル・チルデン]]の著書。第16章の3人目にオハラウッドのプレースタイルの紹介がある。▼
== 参考文献 ==
* [[バド・コリンズ|Bud Collins]], “''Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia''” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3
* Bruce Matthews, “''Game, Set and Glory: A History of the Australian Tennis Championships''” (ゲーム・セット・栄冠
* “''Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam''” (我らのオープン
* Martin Hedges, “''The Concise Dictionary of Tennis''” (コンサイス・テニス辞書) Mayflower Books Inc., New York (1978) ISBN 0-8317-1765-3
* [[ランス・ティンゲイ|Lance Tingay]], “''100 Years of Wimbledon''” (ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0
▲== 外部リンク ==
▲* {{Davis Cup|10004140|パット・オハラウッド}}
▲* {{ITF|m|10004140|パット・オハラウッド}}
▲* [http://etext.lib.virginia.edu/toc/modeng/public/TilTenn.html ローンテニスの芸術(英語)]
{{全豪テニス選手権男子シングルス優勝者}}
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