「ヘルムート・リリング」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Finnrind (会話 | 投稿記録)
m Removing external link: *.oregonbachfestival.com -- per m:User:COIBot/XWiki/oregonbachfestival.com. Translate this summary.
Fpa (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
6行目:
まだ在学中の[[1954年]]に、最初の自前の合唱団[[ゲッヒンガー・カントライ]](Gächinger Kantorei)を設立する。[[1957年]]に、シュトゥットガルト記念教会(Stuttgart Gedächtniskirche)[[オルガニスト]]ならびに楽長として[[1998年]]に[[教会音楽家]]を定年退職するまで活動開始。[[1963年]]から[[1966年]]まで、オルガンや合唱指揮を指導する傍ら、シュパンダウ合唱団を育成した。
 
[[1967年]]に[[ニューヨーク]]で[[レナード・バーンスタイン]]に師事。同年[[フランクフルト州立音楽大学]]の合唱指揮の教授に任命され、[[1985年]]まで同校で教鞭を執る。[[1969年]]にフランクフルト合唱団の指揮者に就任。[[1965年]]から寄せ集めの[[シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム]]を設立。同団体は必ずゲッヒンガー・カントライとも共演しており、リリングは両団体と幅広く演奏旅行を行なっていて、日本にも数回以上来日し、講習会などを通じて多くの教え子を持つ。
 
リリングは[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の専門家として世界的に知られる。リリングはバッハの合唱曲を全曲録音した最初の人物であり、170点以上にのぼるCDに1000曲以上が収録されている。[[古典派音楽|古典派]]や[[ロマン派音楽|ロマン派]]の、管弦楽伴奏つき合唱曲の専門家としても評価が高く、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]作品などのレパートリーがある。[[1988年]]には、再発見されたばかりの《[[レクイエム (ヴェルディ)#前史:「ロッシーニのためのレクイエム」|ロッシーニのためのレクイエム]]》を世界初演し、録音した。長らく現代楽器による現代奏法による素朴でオーソドックスな音楽作りであったが、2000年代になってからは[[ジョン・エリオット・ガーディナー|ガーディナー]]や[[ロジャー・ノリントン|ノリントン]]の[[古楽]]の奏法をようやく受け入れ、以後それに従って演奏解釈を実践している。