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'''デイヴィッド・チューダー''' ('''David Tudor'''、[[1926年]][[1月20日]] - [[1996年]][[8月13日]])は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[現代音楽]]の[[ピアニスト]]、[[作曲家]]。
 
== 略歴 ==
10代で教会のオルガニストを務めた後、[[ジョン・ケージ]]に誘われて現代音楽の道に入り、[[ピエール・ブーレーズ]]の[[ピアノソナタ第2番 (ブーレーズ)|ピアノソナタ第2番]]をアメリカ初演したことが話題となる。その後ケージ一派:[[ニューヨーク・スクール]]のピアノ作品や西側の前衛作曲家の多くの作品を初演し、1950年代のピアノ音楽はほぼ彼を想定して書かれたといっても過言ではない。最も有名なものに、[[シルヴァーノ・ブッソッティ]]の「[[デイヴィッド・チューダーのための5つのピアノ曲]]」がある。
また、ケージが作曲した「[[4分33秒]]」という、無音の音楽を(公式に)初めて演奏した。
 
ピアニストとしての名声が頂点に達した後、彼は突然[[ライヴエレクトロニクス|ライブ・エレクトロニクス]]専門の作曲家へ転身し、このことも大きく話題となる。「ニューラル・シンセシス」は、自らパーツを集め回路図を一から作ることで生まれる奇妙な音色が聴衆の周りをまわるように設計された。
 
彼の電子音楽は[[マース・カニンガム]]舞踊団の舞踊音楽として作曲されるようになり、「スピーカーが割れるような」音楽にシュールな舞踊が付きまとうイヴェントを世界中で展開した。