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=== 戦後オペラ史 ===
[[第二次世界大戦]]後、前衛の世代はオペラの創造に極度に禁欲的な姿勢で臨むことになる。規模も大きく、経済的事情と手間暇のかかるオペラという存在は、早くも[[ピエール・ブーレーズ|ブーレーズ]]や[[ヤニス・クセナキス|クセナキス]]などの前衛作曲家の目の敵とされた。また声楽家が積極規模も大きく、経済に現代音楽に事情と手間暇のかかオペラというジャンルに否定的な姿勢を見せた。その一方で、[[キャシーハンスヴェルナベリア・ヘツェ]](1926年 - )は『[[鹿ようなケー王]]』(1955年、改訂版1963年)、『[[若き貴族]]』(1964年)、『[[バッカの巫女たち]]』(1965年)など、多くのオペラを書いている。ただし、彼のオペラ創作あく同時代の音楽語法を自由に用いつつ19世紀的作劇法によった伝統的スタイルのオペラ徐々に無調などといったもであったため、現代法専門の歌手が出てきて、クラシック専門愛好家よりも伝統的なオペラ歌手とはジャンル性が分かの愛好家に受け入れられた。
 
このほか、前衛の時代に書かれた最も重要なオペラの1つとして、[[ベルント・アロイス・ツィンマーマン]](1918年 - 1970年)の『[[兵士たち]]』(1965年)であろう。また、[[ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ]](1926年 - )は『[[鹿の王]]』(1955年、改訂版1963年)、『[[若き貴族]]』(1964年)、『[[バッカスの巫女たち]]』(1965年)など、多くのオペラを書いた。しかし、彼のオペラ創作はあくまで同時代の音楽語法を自由に用いた19世紀的作劇法による伝統的スタイルのオペラ、といったものであったため、現代音楽の愛好家よりも伝統的なオペラの愛好家に受け入れが挙げられ
 
また、声楽家が積極的に現代音楽にかかわるという[[キャシー・バーベリアン]]のようなケースも稀であった。しかし、徐々に無調などの現代声楽法に通じた歌手が登場してくる。そして前衛の時代が終わり、前衛の世代に経済的基盤が出来たことを背景に、オペラという概念を「[[音楽劇]]」:Musiktheaterという側面から、作曲家一人一人が個別に考える時代に入った。
* [[ルイジ・ノーノ|ルイージ・ノーノ]](1924年 - 1990年)のように、いくつかの試行を経て出された政治的オペラの『不寛容』ののち「耳で聞く悲劇」という様式へ収斂させた『プロメテオ』(1982年)。
* 数々の演奏家が別々に個別の音楽を奏でる「ミュジ・サーカス」というアイデアが存分に生かされた、[[ジョン・ケージ]](1912年 - 1992年)の『ユーロペア1-5』は過去のオペラの断片の集合体という組み合わせである。