「カールハインツ・シュトックハウゼン」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →第二期(1961-1969): 出典の追記 |
|||
66行目:
この時期には電子音楽の経験を発展させ、リング変調、フィルター、ディレイなどを生演奏に施して音響を変調させる[[ライヴエレクトロニクス|ライヴ・エレクトロニクス]]の手法も積極的に試みられた。6人の奏者のための「ミクロフォニーI MIKROPHONIE I」(1964)は、タムタムをさまざまな方法で演奏し、それらの音をマイクロフォンや電気フィルターを通して変形する。オーケストラ、4つの正弦波ジェネレーターと4つのリング変調器のための「ミクストゥール」(1964)は、オーケストラの音色にリング変調が施され、生の音と混合される。そのほか、「プロツェッシオーン」や「クルツヴェレン」、「7つの日より」など、この時期に作曲された多くの作品は、生の音を電気的に変調することが前提となっている。
1966年には来日し、[[NHK電子音楽スタジオ]]にて旋律楽器と[[フィードバック]]のための「ソロ SOLO」(1965/66)と電子音楽「テレムジーク TELEMUSIK」(1966)が作曲された。
「テレムジーク」の手法を発展させた2時間近くに及ぶ電子音楽「ヒュムネン HYMNEN」(1966-67)では、音響素材として世界各国の国歌、短波ラジオの音、その他さまざまな音響が取り上げられている。「テレムジーク」や「ヒュムネン」に見られる、世界中の多様な音楽や音響を取り込み統合しようとする傾向を、彼自身は「世界音楽」という言葉で表現しており、同時期の多くの作品にもそうした考え方が反映されている。
|