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セントサイモン系は[[エクリプス系]]の中でもマイナーなキングファーガス系から分枝した。勢力は小さく、[[セントサイモン]]の父[[ガロピン]]が[[ダービーステークス|エプソムダービー]]を勝つなどはしたものの、基本的には細々と繋がっていた。
 
[[1881年]]にガロピンの子として生まれたセントサイモンは驚異的な強さと気の悪さ、遺伝力を持った馬で、一代にして主流イギリスで支配的な血統を作り上げとなった。産駒も[[種牡馬]]として成功し、20世紀初頭には[[イギリス]]国内の[[重賞]]の半分以上をセントサイモン系が勝ち、[[クラシック_(競馬)|クラシック]]を総つほどにめにしていた。1900-02年にかけて行われたクラシック15戦の内14勝までもがセントサイモンとその父ガロピンの直系子孫によて占められていた。イギリス以外の各国でもセントサイモンの子や孫が、ミニセントサイモンとして同じような現象を引き起こしていた。
 
しかし、1910年頃から急激に失速し、1920年頃までにイギリスではセントサイモン系はほぼ姿を消した。その後1940-70年頃には世界各地で再び活躍馬が見られるようになったが、21世紀に入った現在、[[リボー系]]を除き勢力は小さくなっている。
しかし栄華を誇ったセントサイモン系は、1910年頃から急激に失速する。イギリス中の[[繁殖牝馬]]にセントサイモンの血が入りセントサイモン系の種牡馬が交配できなくなったり、近親交配の弊害が発生するなどして衰退し、[[1914年]]のダービー馬ダーバーを最後に[[牡馬]]の[[クラシック (競馬)|クラシック]]を勝てなくなった。1920年頃までにはセントサイモン系はほぼイギリスで姿を消し、そのころ世界中で繁栄していたセントサイモン系の多くも同じ運命をたどった。(この経緯については[[セントサイモン#セントサイモンの悲劇]]が詳しい)
 
(書きかけ)
その後のセントサイモン系はイギリス国外で生き延びた馬たちを通じて復活する。1930年代には[[ベルギー]]でプリンスローズが活躍し、1938年には[[フランス]]から遠征したヴァトーの産駒[[ボワルセル]]が四半世紀ぶりにエプソムダービーを勝利、1940年代のフランスでは[[ワイルドリスク]]が成功、そして1955,56年には[[イタリア]]の[[リボー]]が凱旋門賞を連覇した。また、東欧ではフロリゼルIIの末裔が生き延びていた。
 
これらの子孫は1950-70年代には世界各地で繁栄したが今日では殆ど滅びている。[[ボワルセル系]]は[[タルヤー]]や[[シンザン]]、[[ギャラントマン]]が活躍したが、今では殆ど残っていない。ワイルドリスクは長距離馬を多数輩出したが、今日では南米に僅かに残るのみである。一時大きく繁栄し、日本でも数々の名馬を輩出した[[プリンスローズ系]]は、大きく勢力を失ったもののアメリカでメドウレイク、サイフォンらが活躍している。現在も活躍馬を輩出し続けているリボーの子孫については[[リボー系]]を参照されたい。
 
== 流れ ==
:'''セントサイモン系'''
:|フロリゼル系
:|[[プリンスローズ系]]
:||[[プリンスキロ系]]
:||プリンスビオ系
:||プリンスシュヴァリエ系
:|[[リボー系]]
:|ワイルドリスク系
:|[[ボワルセル系]]
 
== サイアーライン ==