「十津川大水害」の版間の差分

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=== 『吉野郡水災誌』に見る被災状況 ===
『明治22年吉野郡水災誌』は宇智吉野郡役所が編纂し[[1891年]](明治24年)4月に発表した全11巻におよぶ本災害の記録である。被災した吉野郡内12ヶ村の詳細な記録を現在に伝える。12ヶ村とは十津川郷6ヶ村の他、その上流域にある[[天川村]]、[[大塔村 (奈良県)|大塔村]](現在は[[五條市]]の一部)、[[野迫川村]]と、それらの村と[[分水界|分水嶺]]をはさんで北側に隣接する[[紀の川]]水系の宗檜村(現・五條市)、南芳野村(現在は[[下市町]]の一部と[[黒滝村]])、賀名生村(現・五條市)である。1村1巻として編されているが第10巻のみ宗檜村と南芳野村の2村を1巻にまとめているため12村で全11巻となっている。
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|+ 『吉野郡水災誌』末表資料より
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上表の被害数などは各巻末の統計表にある数値をまとめたものである。被害数などについては第1巻巻頭の緒言に全村の合計数があり、また各巻の本文中に各村の数値がある。死者数・流出戸数・全壊戸数については村によって本文中の記載が末表の数値と微妙に異なるものがあるがほぼ一致している。
 
一方、大規模崩壊数については12村中5村で数値が異なる。例えば宗檜村は末表では0となっているが本文中では101ヶ所と記載されており、各村の本文の数値を合計すると1,372ヶ所となる。また末表と本文の数値を仮に誤差範囲と考えても緒言では大規模崩壊数を247ヶ所としており大きく異なる。この緒言の247については、大規模崩壊箇所が200を越える村が3村あることから考えても明らかな誤りと判断きる。調査数値1147どこかで247と取り違えて印刷されたと考えらのかもしない<ref>『十津川水害と北海道移住』P175</ref>。
 
== 和歌山県内の被害 ==
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[[Category:和歌山県の歴史]]
[[Category:1889年]]
[[Category:十津川村]]