「クラウディア・オクタウィア」の版間の差分
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== 略歴 ==
当初はクラウディウスによって、[[ユリア (アグリッパの娘)|小ユリア]]の孫にあたる[[ルキウス・ユニウス・シラヌス]]と婚約していた。
53年に12歳でネロと正式に結婚し、同日に元婚約者シラヌスは自殺する。54年に父クラウディウスが死ぬと、夫ネロが皇帝となる。翌55年には弟ブリタンニクスが、ネロにより晩餐の最中に暗殺されている。
ネロは女奴隷である[[アクテ]]([[:en:Claudia Acte|en]])を実質上側室とするなど、性的に放縦な傾向を示していたが、オクタウィアは貞淑な妻として夫に尽くしていたといわれる。その後、ネロが友人[[オト]]の妻であった[[ポッパエア・サビナ]]に心を惹かれるようになると、58年にオトは[[ルシタニア]]総督を命じられ、ローマから引き離された。ネロはポッパエアとの結婚を望んだが、ネロの母
しかし59年
[[6月9日]]、オクタウィアは縄で縛り上げられ、手足の血管を切り開かれて自殺させられた。また、ポッパエアへ見せるためにオクタウィアの首は切断され、ローマへ運ばれた。オクタウィアはローマ市民から愛されたが、夫からはあまり愛されなかったといわれている。なお、オクタウィアの死から6年後の同日にネロも自殺した。
彼女を題材に、セネカ作といわれる悲劇『[[オクタウィア (悲劇)|オクタウィア]]』が作られた。
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[[Category:ユリウス・クラウディウス家]]
[[Category:クラウディウス氏族|おくたういあ]]
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