「にっぽん泥棒物語」の版間の差分

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*地名はすべて「松川」ではなく「杉山」となっており、事件名も「杉山事件」となっている。事件の起きた松川町周辺には、東芝の松川工場(現・「[[北芝電機]]」)があり、労働争議が起きていたが、映画では「杉山の北芝工場」という名称になっている。[[日本社会党]]と思われる政党を「社会大衆党」、[[日本共産党]]と思われる政党を「労働党」と言い換えている。
*[[1949年]]の初頭には国鉄人員整理があり、それに対する[[国鉄労働組合]]の反対運動があったが、映画でも、[[1949年]]のまだ肌寒い時期の「杉山駅」で、国鉄労働者の馘首反対署名が行われているシーンがある。
*事件の発生時刻は、午前3時過ぎと一致している。事件の翌日、[[増田甲子七]][[官房長官]]が「今回の事件は、いままでにない凶悪犯罪である。[[三鷹事件]]をはじめ、その他の各種事件と思想的底流においては同じものである」との談話を発表しているが、映画では、同様の官房長官談話がラジオからニュースが流れている。
*松川事件の前日に[[松川駅]]近くの「松楽座」である[[少女歌劇]]団(当時、疑惑のレビュー団として注目され、国会でも取り上げられた<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0488/04603130488014c.html 衆議院会議録情報 第46回国会 法務委員会 第14号]</ref>)のレビューが一日だけあったが、映画ではさりげなく、食堂の壁にこのレビューのポスターが張り出されているのを映し出している。
*松川事件当日に不審な男達を目撃した斉藤金作が[[1950年]]に横浜で水死体となって発見された<ref>[http://www.junposha.com/library/pdf/60004_07.pdf 旬報社デジタルライブラリー 松川運動史編纂委員会編「大衆的裁判闘争の十五年 松川運動全史」松川運動史編纂委員会 221〜256 第3章III 246頁]</ref>事件のエピソードも、映画では「後藤きんぞう」と名前を変えて描かれている。