「世襲政治家」の版間の差分

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なお、民主党は第45回衆議院議員総選挙で[[福島県第1区|福島1区]]から当選した[[石原洋三郎]]は父が2003年まで福島1区選出の衆議院議員であった[[石原健太郎]]であるが、6年間の空白がある。民主党は同一選挙区でも6年間の空白があれば同一選挙区からの一等親の親族の立候補を認めている。また民主党は2003年衆院選と[[2005年]][[衆院選]]は福島1区で石原洋三郎の長男(石原健太郎の兄でもある)である[[石原信市郎]]を公認候補として擁立しており(2回とも落選)、民主党は旧自由党時代も含めて福島1区から2000年衆院選、2003年衆院選、2005年衆院選、2009年衆院選と連続して石原一族から政党公認候補として擁立し続けていることになる。民主党は国政選挙で落選して国会議員になったことがない候補については[[世襲]]制限規定に含まれないとして、同一選挙区から世襲候補が連続して立候補することを認めた。他にも、[[石井登志郎]](兵庫7区当選議員)は父の[[石井一]](2005年まで衆議院兵庫1区選出議員・2007年当選参議院議員)と選挙区は重なっていないが同一県内の選挙区において衆議院立候補に限れば4年間の空白期間を経て世襲をした例や[[菅川洋]](広島1区立候補・復活当選)は父の[[菅川健二]](2001年まで参議院広島県選挙区選出議員)と衆参は異なるが選挙区が重複する中で8年間の空白期間を経て世襲をした例や[[高橋英行]](愛媛4区選出議員)は祖父の[[高橋英吉]](1969年まで衆議院旧愛媛3区選出議員)と40年の空白期間を経て世襲した例があった。
 
自民党もこの総選挙から世襲制限を試みたが、検討段階で既に自民党の公認を得ていた[[千葉県第1区|千葉1区]]の[[臼井正一]](父が[[臼井日出男]])と[[神奈川県第11区|神奈川11区]]の[[小泉進次郎]](父が[[小泉純一郎]])の2名はそのまま公認され、世襲制限については当面期限を定めないとすることとした<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0605/TKY200906040364.html 自民、世襲制限先送り 小泉氏次男ら「例外」で公認へ 2009年6月5日]asahi.com 2009年10月15日閲覧</ref>。ところが解散後に自民党が示した[[マニフェスト]]では「次回(第46回)総選挙から世襲制限を行う」旨が記述された<ref>[http://www.jimin.jp/sen_syu45/seisaku/2009_yakusoku/contents/01.html 自由民主党|自由民主党の政策] 2009年10月15日閲覧</ref>(制限される条件と、遡及しない点については民主党と同じ)。さらにマニフェスト決定後に[[青森県第1区|青森1区]]の公募候補者として決定された[[津島淳]](父が[[津島雄二]])は党本部の公認を得られず<ref>[http://www.mutusinpou.co.jp/news/2009/08/7625.html 津島淳氏公認せず 世襲批判を考慮/自民党本部 2009年8月1日]陸奥新報 2009年10月15日閲覧</ref>、対応が二転し、結果として候補者によってまちまちの対応をとる事になった。2009年衆院選後に登場した自民党新執行部は「世襲制限は尊重しつつも、候補者選定において世襲を優遇せずに広く人材を集める公募制の観点から議論する」とし、世襲制限の議論を白紙に戻す考えを明らかにした。2010年参院選では引退する[[若林正俊]]の後継者として公募を経て長男の[[若林健太]]が、立候補を表明していた[[青木幹雄]]が選挙直前に病気が発覚して不出馬を表明した際には島根県連が緊急に長男の[[青木一彦]]がそれぞれ公認候補とされ、2人とも当選を果たした。2011年1月に自民内の公募制度の充実を前提に世襲制限を撤回する方針が発表された。
 
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