「スメンクカーラー」の版間の差分

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=== 墓とミイラ ===
アクエンアテンとほぼ同時に亡くなっているが、在位期間の短さのため墓が用意されていなかったのか、それとも何らかの混乱があったためか、最初からスメンクカラーのために用意された墓は現在も確認されていない。
イギリスの歴史ミステリ作家であるグレアム・フィリップス([[:en:Graham Phillips (author)|Graham Phillips]])は王家の谷 KV55をスメンクカーラーの墓とし、アクエンアテンの妃の一人(ティイ)のものと思われる女性の棺、陵墓を再利用してスメンクカーラーの墓に充てたとしている。棺は顔が判別できないほどに右目を残してことごとく破壊され、頭部のウアジェト女神と顎鬚は後から加えられ無理矢理男性の型に直されたことは一目瞭然である。またその陵墓は文字の類ひとつない粗雑な未完成の墓であり、壁の加工も粗末で地下水の浸水により、発見当初棺は開いて防腐処理されたはずの遺体はすでに腐って白骨化していた。
しかし、[[ザヒ・ハワス]]等、KV55をアクエンアテンの王墓と位置づけている研究者もおり、解決をみない。
 
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=== 遺物 ===
頭像とされるものが発見されており、容姿はある程度判明している。(ただこれもまた奇妙なことに、男性なのに胸部が女性のように膨らんでいたり、と謎が多い)また、ツタンカーメンの第二の棺と[[カノプス壷]]に収められたミニチュア棺型の臓物容器は、いずれも元来スメンクカーラーのために作成された副葬品であることが確認されている(X-ray([[X線]]などによる「潰された」[[カルトゥーシュ]]の精査、および[[ハワード・カーター]]のツタンカーメン王墓発掘の際の手記などによる)。そのほかツタンカーメン王墓で出土した副葬品の内、かなりのものがスメンクカーラーの物であったことも判明している。これらの証拠から、スメンクカーラーが実在した可能性は高いと見られている。
 
{{Commonscat|Smenkhkare}}
{{先代次代|[[ファラオ|古代エジプト王]]|132代<br>前1336-1334年|[[アメンホテプ4世]]|[[ツタンカーメン]]}}