「佐々木頼綱」の版間の差分

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'''佐々木 頼綱/六角 綱'''(ささき よりつな/ろっかく よりつな)は、[[鎌倉時代]]中期の[[武将]]。[[鎌倉幕府]]の[[御家人]]、[[近江国|近江]][[守護]]。[[近江源氏]]庶流[[佐々木氏]]の本家[[六角氏]]当主。父は[[佐々木泰綱]]、母は[[足利氏]]の娘。[[佐々頼起]]の兄。子に[[六角頼明|頼明]]、[[六角宗信|宗信]]、[[六角成綱|成綱]]、[[六角宗綱|宗綱]]、[[六角時信|時信]]など。
 
[[建長]]2年([[1250年]])12月に[[北条時頼]]邸で[[元服]]、翌年から鎌倉幕府に出仕して左衛門尉、備中守に任じられた。[[建治]]3年([[1277年]])の[[北条貞時]]の元服式にも立ち会い、[[六波羅]][[評定衆]]に加わった。近江に[[郡代]]を設置したり不入だった[[竹生島]]の[[寺社領]]徴税を行うなど守護権の強化も進めた。