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{{出典の明記|date=2010年12月}}
'''佐々木 清高'''(ささき きよたか、[[永仁]]3年([[1295年]]
元弘2年/正慶元年([[1332年]])、[[鎌倉幕府]]転覆計画を企てた[[後醍醐天皇]]が捕らえられ隠岐に流されると([[元弘の変]])
ところが翌元弘3年
清高は[[治承・寿永の乱]]で[[源氏]]方として活躍した[[佐々木秀義]]の
▲清高は[[治承・寿永の乱]]で[[源氏]]方として活躍した[[佐々木秀義]]の五男・[[佐々木義清|義清]]の末裔で、義清-[[佐々木泰清|泰清]]-[[佐々木時清|時清]]-[[佐々木宗清|宗清]]-清高と至る。船上山の戦いで清高と敵対した[[塩冶高貞]]は、時清の兄弟である[[塩冶頼泰|頼泰]]の孫であり、清高とは再従兄弟の関係にあたる。
== 参考文献 ==
* [[安田元久]]編『鎌倉・室町人名事典』[[新人物往来社]]、1985年。
* [[森茂暁]]『[[人物叢書]] 佐々木導誉』[[吉川弘文館]]、1994年。
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