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18行目:
*当初は摂関家領(後に近衛家領)。
*平安時代末期の[[文治]]元年([[1185年]])に[[源頼朝]]の重臣の[[加藤景廉]]が功績により拝領し、長男が[[遠山景朝]]と称し遠山荘の初代の地頭となる。
*鎌倉時代
後
中
期
、木曽南部
に
ついては
なると
[[木曾氏]]の勢力が強まり、[[馬籠]]付近が遠山氏と木曾氏の領地の境界になっていたようである。
== 関連項目 ==
*[[日本の荘園の一覧]]