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水平芳 (会話 | 投稿記録)
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小説、[[随筆]]、古典文学、古典の[[図解]]本、古典の解説本、名所旧跡案内、[[漫画]]、[[往来物]](庶民教育)、医学、[[鍼灸]]、[[薬学]]、[[手相]]、[[習字]]、[[占い]]、[[家相]][[方位]]、[[千文字]](漢字習得のための長詩)、[[尋常小学校]][[教科書]]、[[古代文様]]、[[装束]]図絵、花鳥草木鳥獣図絵、中国の小説、[[大名]]有力者[[藩]]名録、[[巡礼]]記、[[密教]]、[[古銭]]、[[料理]]、[[見聞録]]、名山、[[仏教]]、[[神道]]本、[[妖怪]]、[[俳諧]][[和歌]][[歌集]]、[[地図]]、[[奇術]]秘伝、美術応用職工画譜、[[能楽]]能具、[[地学]]、[[朱子学]]、[[法令]](民法、刑法)、[[郵便]]規則、官令、[[公訴]]文習字(金貸し催促など)、[[漬物]][[塩]]、[[百科事典]]、画法(絵本手ほどき)、漢画本、[[宗教]]([[禅宗]]、キリシタン)、[[儒学]]、[[陶器]][[漆器]]、[[農業]]、[[養蚕]]、[[農家]][[日用品]]、[[浄瑠璃]]本、[[印譜]]、[[篆刻]]、[[図鑑]]、[[硯]]、[[拓本]]、[[伝記]]、[[歌舞伎]][[狂言]]、[[諸子百家]]、[[軍]]書、軍談、[[兵器]]武器、歌書、[[作法]][[衣類]]道具習慣、[[大工道具]]、[[建具]]雛形、[[暦]]書、[[漢方薬]]、[[買物]]案内、[[参考書]]、、[[国史]]、[[囲碁]][[将棋]]本、名妓伝、[[弓術]]、[[相撲]]、西洋歴史、[[風俗]]、地名[[字引]]、[[相続]]心得、[[落語]]、[[図書]]図録、[[陣笠]]、[[馬]]体鑑定法、[[馬術]]、[[数学]]([[和算]]書)、郷土の逸話、[[国学]]、[[博物誌]]、[[測量]]、[[川柳]]、[[都々逸]]、地誌名所、技術書、[[辞典]]、中国の史書、[[書道]]、地方の村の古文書、[[動物学]]、[[園芸]]など。
== 江戸時代の文芸書の歴史 ==
和本を代表する一つ浮世絵入り小説など文芸書などからは、有名作家、浮世絵師が排出された。その他の多種の分野は、それぞれに歴史があり、後世にまで影響を与えている。
 
;17世紀前期(寛永頃)
:江戸開府。京都で慶長14年本屋新七が商業出版を創始。京都で[[公家]]、[[知識人]]が担った。[[信長公記]]、[[本朝画史]]、[[醒睡笑]]出る。大阪では[[和漢三才図絵]]出る。
;17世紀中期(寛文頃)
:[[菱川師宣]]が江戸で木版墨摺り絵本を数多く手がけたが、都市基盤は上方のほうがまだ上回っていた。奈良、平安、鎌倉の古典写本の木版本が出て、以降長くベストセラーになった。[[明暦の大火]]
;17世紀後期(元禄頃)
:木版製版発展。[[町人]]文化盛んになる。上方文化成熟期。大阪で[[浮世草子]]出る。町人文学の[[井原西鶴]]の[[好色一代男]]、[[日本永代蔵]]、[[近松門左衛門]]の[[浄瑠璃]]本が出、[[竹本義太夫]]が、多くの[[人形浄瑠璃]]を書く。[[明智軍記]]出る。[[荻生徂徠]]が漢籍解説本を出す。怪談[[古今百物語評判]]出る
;18世紀前期(享保頃)
:[[享保の改革]]。出版文化も江戸に移ってくる。二世[[竹田出雲]]が[[菅原伝授手習鑑]]、[[仮名手本忠臣蔵]]、[[義経千本桜]]を出す。[[女大学]]る。[[貝原益軒]]の[[養生訓]]はその後どこの本屋にも置いてあったという。近松門左衛門が[[心中天網島]]、[[曽根崎心中]]、[[国性爺合戦]]を書く。[[新井白石]]の[[折たく柴の記]]、[[松尾芭蕉]]の[[奥の細道]]、[[野ざらし紀行]]出る
;18世紀中期(明和頃) 
:明和のころ[[江戸っ子]]という言葉で来て、[[田沼時代]]から[[鈴木春信]]が錦絵を完成させる。全国に出版[[流通]]の基礎ができ始める。大阪で[[絵本太閤記]]84冊の歴史小説が出る。
;18世紀後期(天明寛政頃)
:錦絵の交流と江戸文化全盛期。天明期の江戸中心部に、[[浮世絵師]]、彫師、摺師、紙屋、儒学、国学、蘭学などの学者が集まってきた。江戸で庶民が豊かになり、浮世絵や書籍が売れ始める。江戸地本の書籍の流通。大手[[地本問屋]]が隆盛を極める。江戸の浮世絵入り小説の人気によって、上方を追い越す江戸が中心になる。[[蔦屋重三郎]]のもと[[喜多川歌麿]]が[[美人画]]で人気を博し、重三郎は[[本居宣長]]を訪ね、地方視察をした。田沼の失脚、大阪米騒動の後[[寛政の改革]]で、[[山東京伝]]の絵入り小説が摘発され、蔦谷重三郎は財産の半分を没収された。天保、天明期からあらゆる分野の学問、実用書、文芸書が出る。[[塙保己一]]の[[群書類従]]、本居宣長が[[古事記伝]]を出した。[[恋川春町]]や[[上田秋成]]の[[雨月物語]]、[[春雨物語]]、[[四代目鶴屋南北]]の[[四谷怪談]]、[[化猫遊女]]もでてのも出た。山東京伝の[[時代世話二挺鼓]][[江戸生艶気樺焼]]が出る。川柳句集[[柳多留]]や[[寛政の三博士]]。江戸の読書人口が広がった。
;19世紀前期(文化文政頃)
:[[天保の改革]]。文化文政江戸文化爛熟期。全国に書籍流通市場形成。江戸、大阪、京都中心に出され、名古屋も続く。[[頼山陽]]の[[日本外史]]出る。和歌の[[三代集]]復刻出る。[[滝沢馬琴]]が絵入り小説を送り出した。江戸[[貸本]]屋が800800軒を超え、[[戯作]]作家、滝沢馬琴、[[山東京伝]]、[[式亭三馬]]、[[柳亭種彦]]等人気作家が相次いで文壇の主流となる。[[東洲斎写楽]]が出る。[[太田南畝]]の[[浮世絵類考]]でる。江戸出版文化は頂点に達し、大[[長編小説]]が相次いで出る。式亭三馬の[[浮世風呂]]、滝沢馬琴の108冊の[[南総里見八犬伝]]、[[椿説弓張月]]、[[傾城水滸伝]]、[[十返舎一九]]の43冊[[東海道中膝栗毛]]は初刷り総計50万冊売ったとある。一九は仇討ものの長編も出した。その絵入り小説をまとめた[[合巻]]が開発される。山東京伝の心学早染草も出た。旅行ブームの中、[[葛飾北斎]]の風景画が出る。柳亭種彦の[[北越奇談]]、美しい[[歌川国貞]]の浮世絵挿絵の「にせ紫田舎源氏」は38編、40万冊売ったとある。柳亭種彦と[[笠亭仙果]]の[[邯鄲諸国物語]]。質量ともに江戸書籍を代表する小説が出て、華麗な口絵、挿絵、また錦絵風摺表紙がブームになった。絵入り春画本が沢山出る。七代目[[市川団十郎]]が[[歌舞伎十八番]]を演じる。[[北斎漫画]]、[[小林一茶]]の[[浅黄空]]、私小説[[父の終焉日記]]、[[以貴小伝]]出る。[[為永春水]]の[[春色梅児誉美]]
;19世紀中期(安政頃)
:[[為永春水]]は[[人情本]](男女の情愛物)を出し、仏教の長編小説も出る。柳下亭種員の合巻長編90編、[[歌川豊国]]挿絵の[[白縫物語]]出る。[[児雷也豪傑譚]]、奇談集[[絵本百物語]]、[[狂歌百物語]]出る。幕府は風紀取締りに、同業組合本屋仲間を公認した。安政3年、[[歌川広重]]の[[名所江戸百景]]、北斎挿絵の通俗三国志出る。
;19世紀後期(幕末明治頃)
:[[河竹黙阿弥]]の[[三人吉三廓初買]]、[[白波五人男]]が出る。[[名将言行録]]出る。幕末の混乱期、技術発展に伴い、出版界は新しい小説、娯楽本よりは、見聞、教育のために、歴史小説の古典の新版、史書、技術書、博物誌、辞典、海外紹介ものなどが売れ始め、[[慶安太平記]]、30冊絵本楠公記、絵本[[大岡政談]]や[[十八史略]]読本、また[[康煕字典]]などの地引も出た。木版から活版印刷に移行していった。活版への過渡期を示す浮世絵入り糸綴り活版書物も出回った。[[仮名垣魯文]]の[[西洋道中膝栗毛]]出る
:明治6年仲間解散令、書物問屋、地本問屋、また浮世絵版元仲間は危機に瀕する。明治20年ころには、木版から[[活版印刷]]技術の革新、思想の変革、新しい[[雑誌]]の登場に対応できなくなり、書物問屋は消滅していき、近代出版へ取って代わられた。しかし、明治大正期の[[文豪]]たちに江戸の文芸小説は引き継がれていった。学術教育ものの従来の[[寺小屋]]ルートが、新政府認可制の[[教科書]]ルートになった。出版書籍は活版、[[電算写植]]の電算書籍と進化していく。
== 和本の類別 ==
特に文芸書などには、細かい江戸時代の分類がある。本物を多く見られないと理解が難しい。
;草子
:室町から江戸初期の絵入り短編小説、[[御伽草子]]など。冊子からきて本のことを言う。
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:18世紀末から19世紀初めの大人向けの絵入り小説。安価にできて、読書人口が広がった。
;[[合巻]]
:草双紙数冊を合わせて一巻とした長編もの。実録、読物、浄瑠璃、歌舞伎など
;[[赤本]]
:丹色、赤い表紙で、[[桃太郎]]、[[猿蟹合戦]]などお伽噺で、享保ころ盛んだった。のち暦、講談、実用、実話、ポンチ絵なども。
;[[青本]]
:萌黄色で、浄瑠璃、歌舞伎など江戸中期から出た。これらの分類は萌黄色をと言って色ではなた時代のものと思われる
;[[黒本]]
:歴史物語、軍記、浄瑠璃など。
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:男女の情愛、元禄頃。井原西鶴の好色一代男など。
;[[読本]]
:中期、後期の小説、絵入り小説、口絵挿絵があり、空想的、複雑な筋、仏教道徳的教訓。南総里見八犬伝。上田秋成、山東京伝、滝沢馬琴など
;[[浮世草子]]、浮世本
:上方小説、18世紀半ば、遊里、劇場で町人の好色もの。町人もの、三味線もの、気質(かたぎ)もの、武家、裁判、怪談。井原西鶴など。
;[[談義本]]
:滑稽読物、講談口調で、おかしみと教訓で社会を揶揄したもの。
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:歴史、軍記、伝記、医書などを言う。
;端本
:合巻の不揃いな本
== 有名作家と絵師 ==
文芸書などからは有名作家と挿絵浮世絵師が出た。
; 作家
: [[井原西鶴]]、[[近松門左衛門]]、[[荻生徂徠]]、[[松尾芭蕉]]、[[小林一茶]]、[[十返舎一九]]、[[曲亭馬琴]]、[[山東京伝]]、[[為永春水]]、[[式亭三馬]]、[[宿屋飯盛]]、[[柳亭種彦]]、柳川春種、[[紀海音]](浄瑠璃)、[[恋川春町]]、[[朋誠堂喜三二]]、[[笠亭仙果]]、淫水亭(春画本)、[[鶴屋南北]]、[[河竹黙阿弥]]、[[本居宣長]]、[[賀茂真淵]]、[[平田篤胤]]、[[柳下亭種員]]、[[感和亭鬼武]]、[[上田秋成]]、[[頼山陽]]、[[塙保己一]]、[[谷文晁]]、[[太田南畝]]、仮名垣魯文、[[貝原益軒]]、[[宮武外骨]]など。 
; 絵師
:[[喜多川歌麿]]、[[東洲斎写楽]]、[[葛飾北斎]]、[[渓斎英泉]]、[[北尾重政]]、[[勝川春扇]]、[[歌川国信]]、[[歌川豊国]]、[[歌川国貞]]、[[歌川芳虎]]、二代目[[司馬江漢歌川豊国]]、[[歌川国直]]、[[歌川国安]]、[[歌川貞秀]]、[[貞斎泉晁]]、[[歌川貞重]]、[[落合芳幾]]、[[月岡芳年]]、四代目[[歌川豊国]]、[[司馬江漢]]、など。
 
 
103行目:
半紙四分の一の大きさだと、現在ではかなり小さく思われるが、当時は彫師など画工の手も小さく起用で、実に細かい仕事が見られる。小本にも細かい挿絵がふんだんに入っている物も多い。銅版の小本の絵入り小説の漢字の幅は約2ミリで、さらに細かい振り仮名がふってある。古い時代の大量頒布の絵入り小説には、保存がよくないと稀に、各ページが折れ曲がったり、紙の劣化、この時代のやわらかいページの紙が、くっついているものもあり、めくりにくくなっているものもある。虫穴の開いているものや、馬食い(ねずみなどに大きくかじられた)のものもある。すでに読解できない内容で、その価値に気付かず、浮世絵のような扱いをされずに状態の悪いものもあるが、見事な木版摺りに保管されたと思われる。
===印刷の歴史===
和本は、ほとんどが木版刷りであるが、写本、石版、銅版、活版も存在する。日本の[[印刷]]の歴史としては、商業出版の痕跡はないが、8世紀の百曼塔陀羅尼の印刷、室町末期の木版である旧刊本、16世紀朝鮮、欧州から輸入されたという活字印刷、室町末期の木版である旧刊本、江戸初期の徳川家康の郡書治要、キリシタン版の[[古活字本]]、木活字[[嵯峨本]]、銅活字[[直江版]]がある。
大量に印刷できる木版本は、版画と同じ手法で摺られ、版本、板本、刊本、刻本ともいう。写本は引き続き書かれた。