「ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク」の版間の差分

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ドゥシーク作品の中でも有名になったいくつかは、ピアノ独奏用の小品で、その多くが標題的な副題を持っている。たとえば「フランス女王の嘆き」([[1793年]])は、さまざまな長さの一連のエピソードからなり、子供たちとの別れも含めて、女王の不運に関するテクストが挿入されている。
 
34曲のピアノ・ソナタもあり、その中に、([[1806年]]に戦死した、[[プロイセン]]王太子ルーイ・フェルディナントを悼んで作曲された)美しく比類のない《悲歌の調べ''Elégie harmonique''》作品61も含まれている。加えて数多くのピアノ協奏曲やヴァイオリン・ソナタ、劇音楽、数々の室内楽曲がある。中でも、《[[ホルン]]三重奏曲》は後に[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]が作曲するのと同じ楽器編成をとっており、類無双の《[[ピアノ]]と[[ヴァイオリン]]、[[チェロ]]、[[打楽器]]のための[[ソナタ]]》([[1797年]])は、〈ダンカン提督による海戦とオランダ軍の完敗〉と題されている。打楽器も含んだ室内楽という発想は、20世紀初頭になるまで稀であった。
 
[[Category:古典派の作曲家|とうしえく やんらしすらふ]]