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:錦絵の交流と江戸文化全盛期。天明期の江戸中心部に、[[浮世絵師]]、彫師、摺師、紙屋、儒学、国学、蘭学などの学者が集まってきた。江戸で庶民が豊かになり、浮世絵や書籍が売れ始める。江戸地本の書籍の流通。大手[[地本問屋]]が隆盛を極める。江戸の浮世絵入り小説の人気によって、江戸が中心になる。[[蔦屋重三郎]]のもと[[喜多川歌麿]]が[[美人画]]で人気を博し、重三郎は[[本居宣長]]を訪ね、地方視察をした。田沼の失脚、大阪米騒動の後[[寛政の改革]]で、[[山東京伝]]の絵入り小説が摘発され、蔦谷重三郎は財産の半分を没収された。天保、天明期からあらゆる分野の学問、実用書、文芸書が出る。[[塙保己一]]の[[群書類従]]、本居宣長が[[古事記伝]]を出した。[[恋川春町]]や[[上田秋成]]の[[雨月物語]]、[[春雨物語]]、[[四代目鶴屋南北]]の[[四谷怪談]]、[[化猫遊女]]ものも出た。山東京伝の[[時代世話二挺鼓]]、[[江戸生艶気樺焼]]が出る。川柳句集[[柳多留]]や[[寛政の三博士]]。江戸の読書人口が広がった。
;19世紀前期(文化文政頃)
:[[天保の改革]]。文化文政江戸文化爛熟期。全国に書籍流通市場形成。江戸、大阪、京都中心に出され、名古屋も続く。[[頼山陽]]の[[日本外史]]、和歌の[[三代集]]復刻出る。[[滝沢馬琴]]が絵入り小説を送り出した。江戸[[貸本]]屋が800軒を超え、[[戯作]]作家、滝沢馬琴、山東京伝、[[式亭三馬]]、[[柳亭種彦]]等人気作家が相次いで文壇の主流となる。[[東洲斎写楽]]、[[太田南畝]]の[[浮世絵類考]]でる。江戸出版文化は頂点に達し、大[[長編小説]]が相次いで出る。式亭三馬の[[浮世風呂]]、滝沢馬琴の108冊の[[南総里見八犬伝]]、[[椿説弓張月]]、[[傾城水滸伝]]、[[十返舎一九]]の43冊[[東海道中膝栗毛]]は
;19世紀中期(安政頃)
:仏教の長編小説も出る。柳下亭種員の合巻長編90編、[[歌川豊国]]挿絵の[[白縫物語]]出る。[[児雷也豪傑譚]]、奇談集[[絵本百物語]]、[[狂歌百物語]]出る。幕府は風紀取締りに、同業組合本屋仲間を公認した。安政3年、[[歌川広重]]の[[名所江戸百景]]、北斎挿絵の通俗三国志出る。
;19世紀後期(幕末明治頃)
:[[河竹黙阿弥]]の[[三人吉三廓初買]]、[[白波五人男]]が出る。[[名将言行録]]出る。幕末の混乱期、技術発展に伴い、出版界は
:明治6年仲間解散令、書物問屋、地本問屋、また浮世絵版元仲間は危機に瀕する。明治20年ころには、木版から[[活版印刷]]技術の革新、思想の変革、新しい[[雑誌]]の登場に対応できなくなり、書物問屋は消滅していき、近代出版へ取って代わられた。しかし、明治大正期の[[文豪]]たちに江戸の文芸小説は引き継がれていった。学術教育ものの従来の[[寺小屋]]ルートが、新政府認可制の[[教科書]]ルートになった。出版書籍は活版、[[電算写植]]の電算書籍と進化していく。
== 和本の類別 ==
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