「アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト」の版間の差分

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アルフレッドは[[狩猟|キツネ狩り]]を趣味とするスポーツマンで、欧米の有閑階級の代表者の1人でありながら、[[イングランド]]の古式ゆかしい狩猟案内人の技術を習得していた。狩猟パーティーの際に、自ら馬丁の身なりをして案内役を務めるほど玄人はだしだったとされる。1915年の春、イングランドに滞在した際も狩猟用の犬や馬を買い付けていた。
 
1915年の春、イングランドを訪れていたアルフレッドは、同年5月1日に[[リヴァプール]]を出航したニューヨーク行きの客船[[ルシタニア (客船)|ルシタニア号]]の1等客室の乗客となった。ビジネスで旅行中だった彼は妻子をアメリカに残し、従者を1人連れているだけだった。5月7日、[[アイルランド]]の[[コーク州]]沖を進んでいたルシタニア号を、[[ドイツ海軍]]の潜水艦「U-20」が発射した2本の魚雷が襲い、ルシタニア号は2本目の魚雷の直撃からわずか18分で沈没した。
 
アルフレッドは従者とともに救命ボートに乗客の乗せるのを助けた後、泳げないにもかかわらず、自分に支給された[[救命胴衣]]を幼い乳児を抱く若い母親に与えた<ref>{{cite |url=http://www.libarts.ucok.edu/history/faculty/roberson/course/1493/readings/Sinking%20of%20the%20Lusitania.htm|title=''Torpedoed! The Sinking of the Lusitania''|first=Diane|last=Preston|publisher=Smithsonian Magazine|pages=64–65|date=May 2002}}</ref>。アルフレッドの最後の行いを目撃した生還者たちは、アルフレッドの勇敢さと自己犠牲を褒め称え、アルフレッドは悲劇の英雄と見なされるようになった。アルフレッドとその従者はこの沈没事故の1198名の犠牲者に名を連ねることになり、遺体も見つけられなかった。