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「水野忠重」の版間の差分
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2011年10月8日 (土) 00:06時点における版
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2011年10月16日 (日) 03:01時点における版
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28行目:
「織田信雄分限帳」(天正13-14年成立)によると、忠重は刈屋、緒川のほか北伊勢にも所領を持ち都合1万3千貫文を領するとなっている<ref>石高に直すと12万石ないし、13万石</ref>。
信雄の命で[[雑賀攻め]]に出陣。 九州陣、小田原陣と秀吉の統一戦に参加<ref>当代記・伊達家文書</ref>。
この間の15年7月
29
30
日、豊臣の姓を賜り、従五位下和泉守に叙任する<ref>御湯殿・水野系図・結城水野家譜
。村川浩平『日本近世武家政権論』。
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