「ナバーラ内戦」の版間の差分

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es:Guerra Civil de Navarra el 17 mar 2010, a las 19:08. より抄訳
 
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==概要==
ナバーラ王女ブランカ(のちのナバーラ女王[[ブランカ1世 (ナバラ女王)|ブランカ1世]])は、[[アラゴン王国|アラゴン]]王子フアン(のちの[[フアン2世 (アラゴン王)|フアン2世]])と2度目の結婚をした。結婚にあたり、ブランカがフアンよりも先に亡くなった場合は2人の間の年長の男子がナバーラ王位を継承することが取り決められた。1441年にブランカ1世が亡くなると、フアンはブランカ1世との間に生まれた世継ぎ・[[ビアナ公]][[カルロス (ビアナ公)|カルロス]]に王位を譲らず、自らがナバーラ王となっていた。ナバーラを不在にするフアンはカルロスをナバーラのルガルテニエンテ(lugarteniente、中尉総督職)にして懐柔しようとしたが、カルロスはフランスを味方にして反乱を起こした。父子でナバーラ王位継承を競合する状態は、ナバーラ貴族を二分させ敵対させるようになり、強力な隣国である[[カスティーリャ王国]]とアラゴン王国が領土拡張に付け入る隙を与えることとなった。
 
カルロスは1452年のアイバルの戦いで破れ、拘束されるが釈放された。フアンはカルロスを合法的に廃嫡しようと目論み、カルロスの妹[[レオノール (ナバラ女王)|レオノール]]王女をナバーラ王位継承者とした。ビアナ公カルロスは[[ナポリ王国]]へ向かい、伯父であるアラゴン王[[アルフォンソ5世 (アラゴン王)|アルフォンソ5世]]に仲介を頼んだ。しかし、アルフォンソが1458年に亡くなったため交渉は実を結ばなかった。父フアンがアラゴン王として即位し状況が悪化したのである<ref>Historia del Reino de Navarra en la Edad Media de Jose María Lacarra edita: Caja de Ahorros de Navarra 1975 ISBN 84-500-7465-7 </ref>。