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*[[レオノール (ナバラ女王)|レオノール]](1426年-1479年)
 
1425年にブランカが即位すると、フアン王子はナバーラの共同統治王となった。1441年にブランカ1世が亡くなると、フアンはブランカ1世との間に生まれた世継ぎカルロス王子に王位を譲らず、自らがナバーなかった。兄[[アルフォンソ5世 (アゴン)|アルフォンソ5世]]の代理なっアラゴンを治めるめ、ナバーラを不在にするフアンはカルロスをナバーラのルガルテニエンテ(lugarteniente、総督職)にして懐柔しようとしたが、ベアウモンテセス派([[カルロス3世 (ナバラ王)|カルロス3世]]の庶系であるレリン伯爵を首領とする派閥。親カスティーリャおよびスペイン)がビアナ公カルロスを支持し、カルロスは反乱を起こした。フアン2世は親アラゴンであるアグラモンテセス派を味方につけた。父子でナバーラ王位継承を競合する状態は、ナバーラ貴族を二分させ敵対させるようになり、強力な隣国である[[カスティーリャ王国]]とアラゴン王国が領土拡張に付け入る隙を与えることとなった。
 
カルロスは1452年のアイバルの戦いで破れ、拘束されるが釈放された。フアンはカルロスを合法的に廃嫡しようと目論み、カルロスの妹レオノール王女をナバーラ王位継承者とした。ビアナ公カルロスは[[ナポリ王国]]へ向かい、伯父であるアラゴン王[[アルフォンソ5世 (アラゴン王)|アルフォンソ5世]]に仲介を頼んだ。しかし、アルフォンソが1458年に亡くなったため交渉は実を結ばなかった。父フアンがアラゴン王として即位し状況が悪化したのである<ref>Historia del Reino de Navarra en la Edad Media de Jose María Lacarra edita: Caja de Ahorros de Navarra 1975 ISBN 84-500-7465-7 </ref>。
 
[[カタルーニャ君主国|カタルーニャ]]へ向かったカルロスは、カタルーニャのブルジョワの支持を得た。1460年、[[バルセロナ]]にて和平が結ばれた。しかし[[リェイダ]]の包囲戦で再び囚われの身となった。釈放後、フアン2世に反抗心の強いカタルーニャに残ったカルロスは、1461年9月、わずか40歳で急死した。死因は明らかに結核であったが、父親であるフアン2世か、フアン2世の後添え[[フアナ・エンリケス]]に毒殺されたという噂が強く、カタルーニャで暴動が起きた<ref>Esarte, Peter (2001). Navarra, 1512-1530 . Pamplona: Pamiela. ISBN 84-7681-340-6 . </ref>。