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'''覚行法親王'''(かくぎょうほっしんのう、[[1075年]]-[[1105年]])は、[[平安時代]]中期から後期にかけての[[皇族]]・[[僧]]。父は[[白河天皇]]。母は[[藤原経平]]の娘[[藤原経子|経子]]。[[覚念]]・中御室とも称される。真言宗仁和寺の第3世門跡。
 
[[仁和寺]]に入り[[1085年]](応徳2年)[[性信入道親王]]の下で[[出家]]・受戒。性信の没後に仁和寺寺務に就任し、ついで[[寛意]]から[[灌頂]]を受け、[[1198年]](承徳2年)[[円宗寺]]検校・[[法勝寺]]検校となる。翌[[1199年]](承徳3年)[[親王宣下]]を受け最初の[[法親王]]となった。[[1102年]](康和4年)[[尊勝寺]]落慶法要供養の導師をつとめ、尊勝寺長吏となった。
 
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