「テウタモス」の版間の差分

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'''テウタモス'''([[ギリシア語|希]]:Τευταμος、ラテン文字転記:Teutamos、[[紀元前4世紀]]、生没年不明)は[[マケドニア王国|マケドニア]]の[[将軍]]である。
 
テウタモスは[[紀元前319年]]に[[銀楯隊]]と呼ばれた精鋭部隊の指揮官になった([[アンティゲネス]]と共同)。同年に[[カルディアのエウメネス|エウメネス]]がノラを脱出した後、[[摂政]][[ポリュペルコン]]と[[アレクサンドロス3世]]の母[[オリュンピアス]]の命令に従って[[キリキア]]でアンティゲネスとテウタモスの率いる銀楯隊はエウメネスと合流し、彼らはエウメネスの指揮下に入った<ref>ディオドロス, XVIII. 59</ref><ref>プルタルコス, 「エウメネス」, 13</ref>。しかし、テウタモスは嫉妬の目でエウメネスを見ており、彼は[[プトレマイオス1世|プトレマイオス]]に持ちかけられたエウメネスに対する陰謀に加わろうとしたが、アンティゲネスによって思いとどまらされた<ref>ディオドロス, XVIII. 62</ref><ref>プルタルコス, 「エウメネス」, 16</ref>。
 
[[紀元前316年]]の[[ガビエネの戦い]]の後、テウタモスと銀楯隊は戦いの最中にアンティゴノスによって奪われた銀楯隊の荷物を取り戻すことと引き換えにエウメネスを敵に引き渡し、降伏した<ref>ディオドロス, XIX. 43</ref><ref>プルタルコス, 「エウメネス」, 17</ref>。その後テウタモスがどうなったのかは不明であるが、アンティゴノスに信用されなかった銀楯隊は僻地[[アラコシア]]に事実上[[左遷]]されたため<ref>ディオドロス, XIX. 48</ref>、彼らと共に送られた可能性はある。