「神社建築」の版間の差分
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{{出典の明記|date=2011年10月}}
'''神社建築'''(じんじゃけんちく)は、[[神社]]の[[建築]]。'''社殿建築'''(しゃでんけんちく)ともいう。▼
[[画像:Ujigami jinja01 2816.jpg|thumb|300px|[[宇治上神社]]本殿覆屋([[国宝]]・[[世界遺産]])。五間社流造。[[康平]]3年([[1060年]])頃建立の現存最古の神社建築([[京都府]][[宇治市]])]]▼
{{Pathnav|建築|[[日本]]の建築、[[日本の文化]]に由来する建築<!--日系人等によるものも含む。-->|frame=1}}
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== 概要 ==
{{右|
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}}
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神社建築は[[寺院建築]]の影響のもとで発生し、[[日本]]の上古の建築を復古的に採用し、仏教建築のデザインを意識的に排除しつつ成立したと考えられる。神社建築の特徴の一つとしては、その様式の尊重がある。神社建築は、一宮などの各有力神社において固有の様式を採っているので、各神社で固有の伝統的な様式を保っている。そのため、神社建築の様式を解明することは、その神社の祭神の性格を知る上で重要な手がかりの一つとなる。後にできた神社においても、建立当初の様式を保つものが多い。
=== 本殿 ===
=== 拝殿 === '''拝殿'''(はいでん) 神社によっては拝殿を持たないところ([[春日大社]]・[[伊勢神宮]]など)や、2つ持つところ([[伏見稲荷大社]]・[[明治神宮]]など)もある。2つある場合は、手前を'''外拝殿'''(げはいでん)と呼び、奥のものを'''内拝殿'''(ないはいでん)と呼ぶ。[[鈴]](鈴の緒)や[[鰐口]]がある場合もある。 * '''幣殿'''(へいでん) - 祭儀を行い、[[幣帛]]を奉る社殿である。独立していることもあるが、拝殿と一体になっていることが多い。幣殿を持たない神社もある。▼
=== 幣殿 ===
=== その他 ===
このほか
== 神社建築(本殿)の特徴 ==
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== 本殿の起源 ==
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古くは神社には社殿がなかった。神は社殿にいるのではなく、[[山]]や[[森林|森]]などにいると考えられ、それも特定の一箇所に常在するとは考えられていなかった。しかし、神は特殊な形をした特定の岩や木に来臨すると考えられ、神への祭祀は、そこで行なわれた。この祭場が[[磐境]](いわさか)・[[磐座]](いわくら)などと呼ばれるものであり、現在でも各地に残っている。ただ、やはり常にその祭場に神がいるのだとは考えられず、祭祀を行なうときのみ、神がその場に招かれたのである。
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== 拝殿の起源 ==
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拝殿の成立は本殿よりも後である。現在でも[[伊勢神宮]]・[[春日大社]]・[[宇佐神宮]]・[[松尾大社]]など拝殿を持たない古社は多い。
拝殿は祭神の祭祀のための施設であるが、本来、祭祀は露天で行なわれるものだった。本殿は、その起源を祭壇に求められるように、祭祀の対象であって、祭祀を行なう場ではなかった。拝殿が登場する以前、神社の祭祀は本殿の正面の露天の祭場で行なわれていた。[[神職]]らは祭場の左右に着座し、そこから中央の祭場に赴いて祭儀を行なった。
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#心御柱(しんのみはしら)を持つもの
#内部が2室に分かれるもの
{{Anchor|柱下に土台あり|}}'''柱の下に土台を持つもの'''は[[流造]]・[[春日造]]に代表されるものである。柱を地面に直接建てたり、礎石などの基礎を設置したりせずに、社殿の最下部に井桁を組み、その上に柱を建てる。これは社殿を移動させることを前提とした様式で、祭祀のときのみ社殿を設置し、祭祀を行なわないときには社殿を設置していなかったという、上古の祭祀方法の名残ではないかと言われている。「神籬」と呼ばれる上古の仮設の祭壇が発展して、常設の社殿となったのではないかといわれる。
流造・春日造のいずれも床下を壁で隠蔽している。これは神社建築一般の特徴でもあるが、社殿と設置された地面とのつながりに神聖性を求めることによる。言い換えると、社殿の神聖性の根源は置かれている場所に求めることができる。すなわち、神体とされる領域や磐座などの上に仮設の祭壇を置いて祀った神籬の形式を受け継いだものではないかということが、ここからも指摘できる。
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このように、起源を上古に求めることができ、「柱の下に土台を持つもの」は神社建築の中でも古い形式と考えられる。
{{Anchor|心御柱あり|}}'''心御柱を持つもの'''は[[神明造]]と[[大社造]]である。この様式の特徴は、心御柱・棟持柱を持ち、掘立柱であることである。心御柱は、社殿の中央にある柱のことであるが、建築構造上、意味をなさない柱であり、本来は神の[[依代]]であったと考えられる。神明造では社殿本体と完全に分離している。棟持柱は母屋の梁を支える他の柱と違って棟に届く柱のことである。
そして<!---心御柱・ これはよくわからない--->棟持柱を含めて、全ての柱が礎石を使わず地面に穴を掘って建てる掘立柱である(現在の出雲大社は土台の上に建つ)。掘立柱は原始住居以来の建築に使われるものである。<!---これはすなわち、この様式の社殿は常設のものであることを前提としてるということができる。「柱の下に土台を持つもの」が仮設を前提としていることとは大きな差異であり、比較的新しい様式だということができる。 ←逆ではないか?-->
{{Anchor|分室型|}}'''内部が2室に分かれるもの'''は[[住吉造]]と[[八幡造]]である。どちらも本殿内部に前後2室もっている。住吉造は後室に神座があり、八幡造は前後の室にそれぞれ神座(昼の神座と夜の神座)があるのであって、両者を簡単にひとくくりにすることは出来ないが、もともと1室の本殿が分化して2室になったものではないという意味で共通である。[[大鳥造]]や[[天皇]]が[[大嘗祭]]のときに祭儀を行なう[[大嘗宮]]もこれに含まれると考えられる。
=== 本殿の建築様式 ===
本殿の建築様式は大きく[[平入]]と[[妻入]]に分けられ、これに屋根の形状を以て分類することが多い。これは細部においては各神社独特の様式をとることが多く、それぞれを細分化して分類すると膨大な数となり、分類の意味をなさなくなるためである。最古の様式は神明造や、大社造、住吉造といった直線的な形状の屋根を持つものとされるが、現在一般的によく見られる様式は流造で、春日造がこれに次いでおり、いずれも流線的な形状の屋根となっている。
==== 平入形式 ====
* [[神明造]] - [[仁科神明宮]]([[長野県]][[大町市]])、[[伊勢神宮]]([[三重県]][[伊勢市]])など
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=== 拝殿の建築様式 ===
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拝殿も大きく平入と妻入に2分でき、切妻造か入母屋造が一般的である。
* 平入拝殿
: 棟が横に通っているものである。最も一般的な様式といえる。着座する人々が本殿に対面するようになる。
* 妻入拝殿
: 棟が縦に通っているものである。本殿への通路としての性格を持ち、縦長となる奥の部分は幣殿も兼ねている。拝殿が成立する以前の回廊形式だったころの幣殿が変化したものとも考えられる。
また上とは別に次の形式をとるものもある。
* 割拝殿
: 中央が吹き抜けになっていて、左右に床間がある。これは回廊形式の中門と左右の回廊が変形した結果だと考えられる。遺構は少なく[[大神神社]]・[[石上神宮]]摂社出雲建男神社・[[大崎八幡宮]]に見られる。
* 特異な拝殿
: [[静岡浅間神社]](静岡県[[静岡市]]) - 拝殿が浅間造となっている。
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== 脚注・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
情報のあるべき節
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== 関連項目 ==
* [[日本建築史]]
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{{神道 横}}
{{DEFAULTSORT:しんしやけんちく}}▼
{{建築史}}
[[category:神社建築|*]]
{{Shinto-stub}}
{{Architecture-stub}}<!--※出典が皆無(2011年10月時点)という点で完全にスタブです。-->
[[cs:Honden]]
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