「ローマ軍団」の版間の差分

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== 戦術 ==
=== 野戦 ===
ローマに対する敵は、[[カルタゴ]]・[[パルティア]]などのを除けばほとんどが規律や統制に欠ける武装集団(蛮族)だったため、ローマ軍の整然と組まれた陣形とよく統率された攻撃によりは、彼らをたちどころに粉砕された。また他国の、ローマも傭兵を主体として編成されることが多く、市民により構成されていローマため、傭兵中心の他国の軍にくらべて、士気のでもあったことは否めない
 
この時代の戦闘映画のような敵味方入り乱れての乱戦はめったに起こらなかった。どちらかが相手に突撃し短時間の白兵戦が展開された後、距離を取って散兵戦を行うか、その場で踏みとどまりできるだけ敵を追い散らすことが目指されたからである。士気が崩れて敗走した方が負けであり、勝者側の死傷者は極端に少なく敗者は極端に多かった。この点で共和政前中期までのローマ軍団は戦列を3列にし後方に老練な兵を配置することで優位に立てた。さらに訓練を重ねることで部隊を交代させつつ戦闘を継続することもできたため、他国よりも高い持久力を誇った。長期戦になれば膨大な数のガリア軍でもローマ軍には勝てなかった。マリウスの軍制改革以降は戦列を保つ事に重心を置く事によりやや柔軟性に欠けるマニプルスに代わり、個々の判断で動き戦場の変化に臨機応変に対応できるコホルトが登場したため、総司令官の指示なしでもすぐさま敵軍戦列の乱れや隙を衝くいった優れた行動性備わできるようになていた。
 
レギオーの欠点といえば重装歩兵中心で遠距離攻撃可能兵種を取り込んでが不足してなかたことだった。そのため、開けた土地では弓を装備する[[軽騎兵]]に翻弄されることがあり、[[カルラエの戦い]]のような敗北に繋がった。これに対しては騎兵や弓兵などを傭兵として雇い入れることで機動性と遠距離攻撃の向上対策図らなされたが、質や数の面根本的な解決は困難は常に劣勢だった。またトリアリイ廃止以降は槍兵を軍構造に取り込んでいなくなったため、後に登場する[[重装騎兵]]などに対しては接近戦で圧倒され、そうした兵科を擁する[[ゴート族]]などには、しばしば大敗を喫した。要するに当時のローマ軍団は、歩兵同士の戦闘ではほとんど無敵であったが、遊牧民族の軽騎兵や中世時代の初期に出現すような重装騎兵の攻撃には耐えられなかったのである
 
またケントゥリオン(前線指揮官)の死傷率が高いのも特徴だった。彼らは、先陣を切りまた殿を担っていた可能性が高いと思われる。[[ファルサルスの戦い]]を例にとると、カエサル軍の[[戦死]]者数は200人未満だったがその内ケントゥリオンが30人前後を占めた。なおこの戦いでカエサルが投入したのは8個軍団22,000人、ケントゥリオンの人数は欠員を生じていない場合最大480人である。
 
一方騎兵は、ローマにおいて軍の騎兵包囲殲滅よりも敵が敗走した後の追撃の役割が重要視されそうした局面で投入されることが多かった。[[マケドニア]]軍の[[ヘタイロイ]]などに比べ少数であり攻撃性に欠けていたため、戦場で敵軍を突撃で崩すといった事績は少ない。
 
=== 攻城戦・工兵 ===