「万里小路惟房」の版間の差分

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'''万里小路 惟房'''(までのこうじ これふさ、[[永正]]10年([[1513年]]) - [[元亀]]4年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]([[1573年]][[7月7日]]))は[[室町時代]]の[[公卿]]。'''[[歌人]]'''。[[万里小路秀房]]の子。子は[[万里小路輔房]]、娘([[伏見宮貞康親王]]御息所)、娘([[今出川晴季]]室)など。[[正室]]は[[畠山家俊]]の娘。号は'''崇恩院'''。[[正二位]]。
 
 
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== 政治上の活躍 ==
従兄弟である[[正親町天皇]]の勅使として、または'''[[公家室町時代]]'''後期の'''[[朝廷]]代表'''として

戦国の覇者[[織田信長]]と接渉し、難しい時代の[[朝廷]]運営を支えた。
 
 
== 文化人としての活躍 ==
'''[[三条西実枝]]と並び'''この時代を代表する教養人として全国に名が知られていた。諸芸に秀でていたが特に[[書道]]と[[歌道]]に優れ、美しい'''格調高く迫力迫る和歌懐紙等'''が大名家に伝来している。室町時代の公家の気骨を知る上で、きわめて重要な書物である。