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{{出典の明記|date=2010年6月}}
'''神聖娼婦'''また(あるいは'''神殿娼婦''''''聖婚'''とも)は宗教上の儀式として神聖な売春を行った者を指す概念である。その儀式を'''神聖売春'''または'''神殿売春'''という。
 
== 古代近東地域における神聖娼婦 ==
[[File:Ishtar vase Louvre AO17000-detail.jpg|100px|thumb|[[イナンナ]]もしくは[[イシュタル]]は女神官の儀式用髪飾りを付けて表される]]
[[チグリス川]]と[[ユーフラテス川]]に沿った古代近東には[[バビロン]]のイシュタルの神殿をはじめとした多くの聖地や神殿、「神の家」が存在しており、[[ヘロドトス]]は『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』の中で神殿売春の慣習を伝えている<ref>例えば[[ジェームズ・フレイザー]] (1922), ''[[金枝篇]]'', 3e, [[s:The Golden Bough/Adonis in Cyprus|Chapter 31: Adonis in Cyprus]]など</ref>が、多分に誤解を含んでいると考えられている<ref>Stephanie Budin, ''The Myth of Sacred Prostitution in Antiquity'' (Cambridge University Press, 2009)</ref>。サミュエル・ノア・クレーマーの''聖婚:古代シュメールの信仰・神話・儀礼''によると、後期シュメールおよび[[アッカド]]の王[[サルゴン (アッカド王)|サルゴン]]は、アキトゥと呼ばれる新年祭の10日目に神殿で行われる王と女神の結合の儀式に神聖娼婦を参加させることで、その正当性を確立させたとされる<ref>{{cite web|url=http://www.bibliotecapleyades.net/sitchin/divine_encoun/divine_encounters08.htm |title=Encounters In The Gigunu |publisher=Bibliotecapleyades.net|date= |accessdate=2011-8-25}}</ref>。西暦4世紀に[[ローマ帝国|古代キリスト教]]を奉じる[[ローマ帝国]]皇帝[[コンスタンティヌス1世]]が女神の神殿を破壊し、[[キリスト教]]化したことによって、神聖娼婦の習慣は終了した<ref name="3.55">[[エウセビオス]], ''コンスタンティヌスの生涯'', [http://www.ccel.org/ccel/schaff/npnf201.iv.vi.iii.lv.html 3.55]および[http://www.ccel.org/ccel/schaff/npnf201.iv.vi.iii.lviii.html 3.58]</ref>。
 
=== メソポタミア ===
[[古代メソポタミア]]の巫女は、寄進を受けた者に神の活力を授けるために性交渉を行う風習があった。[[ギルガメッシュ叙事詩]]でも[[ギルガメッシュ]]の友[[エンキドゥ]]の獣性を鎮めるために、娼婦を派遣して性交渉を行ったとの記録があり、当時は売春行為は、現在とはかなり違い神聖な儀礼であった事が伺い知る事ができる。また、古代メソポタミアの[[イシュタル]]や[[古代ギリシア]]の[[アフロディーテ]]、北欧神話の[[フレイヤ]]など、多くの神話では愛と美を司る女神は性に奔放な姿で描かれているのも、こうした神殿娼婦の影響によるものと考えられている{{誰|date=2011年8月}}。[[古代ギリシャ]]の歴史家ヘロトドスは古代メソポタミアにおいて神殿売春が行われていたと初めて言及した人物である<ref>[[ヘロドトス]]''[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]'' [http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Hdt.+1.199 1.199]、A.D. Godley訳(1920)</ref>。
 
== アジア ==