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'''贈位'''(ぞうい)
 
* 生前の功績に対して、没後に[[位階]]を贈ること。追贈、追賜ともいう。
* [[将棋]]や[[囲碁]]の大会に優勝し、タイトルを贈られること。就位ともいう。
 
==位階における贈位==
 
== 位階における贈位 ==
以下、贈位の概要及び変遷について概説する。
 
=== 贈位のはじまり ===
 
[[天武天皇]]2年([[673年]])2月、[[壬申の乱]]の功臣であった[[坂本財]]が薨じ、大臣級の冠位であったことから[[小紫]]位を贈られたのにはじまる。その後、[[百済]]の[[沙宅昭明]]が没して外小紫位を贈られ、壬申の乱の功臣や渡来人に対して盛んに贈位が行われるようになった。『養老令』『大宝令』では、戦死による贈位の場合、その子・孫への蔭位は、生前の帯位と同等とし、それ以外の贈位の場合、蔭位は通常の位階より一階降して授けることとされた。
以後、贈位は亡くなった高位の貴族への恩典として、さらには無実の罪で亡くなった者、或いは派遣途上でなくなった[[遣唐使]]の慰霊や名誉回復を目的で行われるようになった。
 
贈位の場合、通常の位階の上に「贈」の字を加える。『例:贈[[正四位]]』。なお、官職を贈る場合は'''贈官'''という。『例:贈[[太政大臣]]』。
 
=== 明治以降の贈位 ===
[[明治|明治時代]]以降も引き続き死者の功績を称える目的で贈位が行われた。特に[[幕末]]の[[尊皇攘夷]]や[[明治維新]]で功績を挙げながら亡くなった者、または[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]][[南朝 (日本)|南朝]]方の[[公卿]][[武将]]・勤皇家と見なされた[[戦国武将]]等への贈位も盛んに行われた。贈位が行われた[[明治]][[大正]]にかけては長州閥の政治権力が強大であった為、一部で不公平も見られる。例えば[[長州藩]]の祖である[[毛利元就]]に[[正一位]]、三兄弟に[[正三位]]が授与された。これは[[正親町天皇]][[即位の礼|即位式]]の功が理由とされる。一方でその元主君[[大内義隆]]は[[後奈良天皇]]の即位式だけでなく日常的に[[朝廷]][[公卿]]への貢献が抜きん出ていたが明治政府からの贈位を見送られた。この差は「毛利元就の献金は勤王だが、大内義隆の献金は猟官運動目的であり勤王によるものではない」という見方による。長州閥が毛利元就の[[下剋上]]を正当化する為には大内義隆の評判が悪いほうが都合が良い事情もある。
贈位は原則として[[従五位]]以上とされたが、[[明治]]2年([[1869年]])の官位制度改革以後は[[従四位]]以上の適用となった。明治28年([[{{jdate|1895年]])}}、「戦死者贈位並叙位ノ件」が制定されたのに伴い、功績抜群なる軍人が戦死した場合は生前の[[位階]]に関わらず従五位以上を贈るものとし、準ずるものは生前の位階を一級ないし二級特進させることとした。明治30年([[{{jdate|1897年]])}}戦死者贈位並叙位進階内則」では、将官は[[正四位]]以上、佐官は従五位から正四位の間、尉官は[[従五位]]から[[正五位]]の間、准士官、下士官、兵卒は従五位を贈るとされた。明治時代は栄典大権は[[天皇]]に属するものであり、贈位は内閣賞勲局が担当したが、[[大東亜戦争]]後、生存者に対する叙位が停止したのに伴い、贈位も一時停止状態となった(ただし、[[{{jdate|1960年]][[|8|15日]]}}に終戦時の[[内閣総理大臣|首相]]で10年以上前に死去していた[[鈴木貫太郎]]に[[従一位]]が贈られている)。
 
=== 今日までの変遷 ===
[[明治時代]]以降も引き続き死者の功績を称える目的で贈位が行われた。特に幕末の[[尊皇攘夷]]や[[明治維新]]で功績を挙げながら亡くなった者、または南北朝時代の南朝方の公卿や武将・勤皇家と見なされた戦国武将等への贈位も盛んに行われた。贈位が行われた明治大正にかけては長州閥の政治権力が強大であった為、一部で不公平も見られる。例えば長州藩の祖である[[毛利元就]]に正一位、三兄弟に正三位が授与された。これは[[正親町天皇]]即位式の功が理由とされる。一方でその元主君[[大内義隆]]は[[後奈良天皇]]の即位式だけでなく日常的に朝廷や公卿への貢献が抜きん出ていたが明治政府からの贈位を見送られた。この差は「毛利元就の献金は勤王だが、大内義隆の献金は猟官運動目的であり勤王によるものではない」という見方による。長州閥が毛利元就の下剋上を正当化する為には大内義隆の評判が悪いほうが都合が良い事情もある。
[[昭和]]39年([[{{jdate|1963年]])}}、[[池田勇人]][[内閣]]において「戦没者に対する叙位叙勲について」が閣議決定され、[[第二次世界大戦]]の戦死者に対する叙位叙勲が復活する。以後、位階は死没者にのみ贈られるものとなり、生存者に対し叙位が適用されなくなったため、通常の叙位が明治以前の贈位の機能を果たしている(但し、贈位とは異なり、[[叙位]]では「贈」の字は用いられない)。
贈位は原則として従五位以上とされたが、[[明治]]2年([[1869年]])の官位制度改革以後は従四位以上の適用となった。明治28年([[1895年]])、「戦死者贈位並叙位ノ件」が制定されたのに伴い、功績抜群なる軍人が戦死した場合は生前の位階に関わらず従五位以上を贈るものとし、準ずるものは生前の位階を一級ないし二級特進させることとした。明治30年([[1897年]])戦死者贈位並叙位進階内則」では、将官は正四位以上、佐官は従五位から正四位の間、尉官は従五位から正五位の間、准士官、下士官、兵卒は従五位を贈るとされた。明治時代は栄典大権は天皇に属するものであり、贈位は内閣賞勲局が担当したが、[[大東亜戦争]]後、生存者に対する叙位が停止したのに伴い、贈位も一時停止状態となった(ただし、[[1960年]][[8月15日]]に終戦時の[[内閣総理大臣|首相]]で10年以上前に死去していた[[鈴木貫太郎]]に従一位が贈られている)。
 
===今日までの変遷===
 
[[昭和]]39年([[1963年]])、[[池田勇人]][[内閣]]において「戦没者に対する叙位叙勲について」が閣議決定され、[[第二次世界大戦]]の戦死者に対する叙位叙勲が復活する。以後、位階は死没者にのみ贈られるものとなり、生存者に対し叙位が適用されなくなったため、通常の叙位が明治以前の贈位の機能を果たしている(但し、贈位とは異なり、[[叙位]]では「贈」の字は用いられない)。
 
==将棋における贈位==
 
== 将棋における贈位 ==
将棋の分野では、竜王、王将などのタイトルを取得した勝者に与えられるタイトルの授与を記した文書を贈位状という。
 
== 関連項目 ==
* [[位階]]
 
* [[位階勲等]]
* [[勲等官位]]
* [[諸賢伝]]
* [[贈位諸賢伝事略]]
*[[贈位諸賢伝事略]]
 
[[Category:位階|そうい]]