「スルト (リビア)」の版間の差分

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[[1942年]]に[[ムアンマル・カッザーフィー]]がここで生まれた。
 
カッザーフィーが[[1969年]]のクーデターにより権力を握ると、カッザーフィーは自らの親族や出身部族のカッザーファ部族から積極的に登用を行ったため、スルトはカッザーフィー政権の強固な支持基盤となった。カッザーフィーの根拠地であると同時にトリポリタニアに属するとはいえ中心からは遠く離れており、リビアを構成するトリポリタニア・[[キレナイカ]]・フェザーンの三地方からほぼ等距離にあるため、テント型の巨大な国際会議場ワガドゥグー・コンベンションセンターが建設され、行政機関や全国人民会議(国会に相当)等がこの町に移されるようになった。[[2007年]]10月には[[ダルフール紛争]]の講和会議がスルトで開催された<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7064684.stm "Sudan calls Darfur truce at talks"], BBC News, 27 October 2007</ref>。
 
[[2011年リビア騒乱]]においては、スルトはカッザーフィー支持の姿勢を打ち出し、市民蜂起は起こっていなかった<ref>BBC News (24 February 2011) [http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12570279 "Libya protests: 'Gaddafi says Bin Laden to blame'"]</ref>。