「エレア派」の版間の差分

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== 哲学 ==
 
エレア派は感覚的な経験の認識論的な妥当性を拒絶した。その代わりに、数学論理的な明快さと必然性を、真実性の基準とみなした。そのメンバーであるパルメニデスとメリッソスは疑い得ない強固な前提の上に議論を構築した。ゼノンはそれに対し、主として背理法を採用し、相手の前提が矛盾に導かれることを示すことで、その議論を破壊しようと試みた。
 
エレア派の主要な教説は、すべての存在を第一の物質によって説明する初期の自然哲学者への、そして、すべての存在を永遠の変化とみなせるだろうと述べた[[ヘラクレイトス]]の理論への対抗の中で発達した。エレア派は事物の真の説明は存在の普遍的な統一性という概念にあるという考えを維持した。その教説に拠れば、感覚はこの統一性を捉えることはできない。感覚の報告するところは一貫していないからである。思考によってのみ、感覚による虚偽の見かけを超えて、存在についての知識、すべては一であるという根源的真実に到達できるのである。さらに、創造はありえないとされた。非存在が存在になることは、ものが異なるものから起因することはありえないために、ありえないからである。かれらはここで、「ある」という語の多義性に由来する誤謬を犯している。それは実在を意味すること(「がある」)も、主語と補語をつなぐ繋辞となること(「である」)もあるのである。