「イラク原子炉爆撃事件」の版間の差分

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== イスラエルの暗躍 ==
当初、イスラエルは外交手段によって事態を収拾しようとし、フランス政府に技術供与を取りやめるように要請するが、
当時のフランス・[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン|ジスカール・デスタン]]大統領は平和利用のためだとして断った。そのため、[[イスラエル諜報特務局]]と国防軍の情報機関である[[イスラエル参謀部諜報|アマン]]を使い、以下のような阻止工作をしたといわれている。
 
[[1979年]]4月、フランスのラ・セーヌ・シュルメール港の倉庫に格納されていたイラク向け原子炉格納容器が爆破された(犯行声明はフランスの過激派名義だった)。つぎに[[1980年]]6月には、イラクの核開発の責任者がフランスのホテルで撲殺され、8月には原子炉開発の契約企業のローマ事務所と重役の私邸が爆破され(イスラム革命保障委員会から犯行声明があった)、イラクの核開発に関係するフランスと[[イタリア]]の科学者宛にイラク差出の脅迫状が送付された。しかし、それらの妨害活動にくじけることなく原子力発電所の完成が近づいたため、イスラエルはあえて国際法に抵触する危険性がある武力攻撃を決意した。