「イリーナ・チャシナ」の版間の差分
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[[1999年]]の[[世界新体操選手権]]で団体のメンバーとして金メダル獲得に貢献したことで注目を浴び始める。[[2001年]]より主要な国際大会で優勝を重ねるようになり、同じロシアの[[アリーナ・カバエワ]]、[[ウクライナ]]の[[アンナ・ベッソノバ]]とともに「3強」と称されるようになる。
[[2001年]]の世界新体操選手権では個人総合2位、計2つの金メダルと4つの銀メダルを獲得するも、薬物使用違反でカバエワと共にメダル剥奪・1年間の出場停止処分を受ける。[[2003年]]の世界新体操選手権大会で個人総合3位、出場した6種目全てメダルを獲得した。[[2004年]]の[[アテネオリンピック (2004年) における体操競技|アテネオリンピック]]では個人総合の決勝途中までカバエワを抑え1位の位置につけながらも、最終種目のリボンでミスを犯し銀メダルに終わる。[[2005年]]の世界新体操選手権大会でも個人総合3位となる。[[2006年]]に現役を引退。
== 関連項目 ==
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