「可愛かずみ」の版間の差分

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宅銅鑼 (会話 | 投稿記録)
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遺体が安置された東京医科大学病院には、川上麻衣子、岡本かおり、元競輪選手の[[中野浩一]]夫人の歌手[[NAOMI (歌手)|NAOMI]]など、多くの友人が駆けつけ付き添っていた。通夜でも渡辺美奈代や[[渡辺めぐみ]]など、多くの友人が駆けつけ「もっと相談に乗っていれば良かった」「もっと頻繁に気持ちを確かめ合えば、こんなことには…」と口々に漏らし、涙に濡れた。また通夜には生き別れになっていた母親も参列し、可愛が亡くなった後、再会を果たしている。告別式では二年半ほど前に撮られた写真が遺影として使われた。父親が「人生で一番むなしい日」、所属事務所社長が「彼女が思っているよりもずっと彼女は愛されていた」と語っている。告別式の様子を放送したワイドショーでは芸能リポーターが「私の立場で言っていいのかは分かりませんが、もうそっとしてあげたいですね」と言っており、可愛の人柄が偲ばれるものであった。
 
前記した川崎投手は、「何で僕のところで、、、、」と不思議に思えてならない様子を隠し切れなかった。
 
亡くなった翌日の[[5月10日]]に、可愛は都内の自動車販売会社を経営する実業家と正式に婚約し、2ヵ月後に結婚する予定であったことが発覚する。当初は可愛の誕生日である[[7月9日]]に入籍するつもりだったが、その日が仏滅だったため、七夕である[[7月7日]]に籍を入れる予定だった。棺には挙式で着用するはずだった白い[[ウェディングドレス]]がかけられた。