「アマチュアリズム」の版間の差分

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ブランデージをIOC第5代会長、キラニン男爵をIOC第6代会長に修正
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==アベリー・ブランデージとアマチュアリズムの変容==
45代IOC会長(1952-72年)を務めた[[アベリー・ブランデージ]]は、原理主義的なアマチュアリズムを唱え、「ミスター・アマチュア(リズム)」と呼ばれた。しかし、皮肉なことに彼の在任中にスポーツを取り巻く環境は大きく変わり、アマチュアリズムとの乖離が進行した。
 
彼がIOC会長に就任した年に開催された[[ヘルシンキオリンピック]]から[[ソビエト連邦|ソ連]]がオリンピックに参加する。このソ連をはじめとする東欧の社会主義諸国は、それらの国においては興行としてスポーツを行う者がいないため、スポーツ選手はすべてアマチュアであると主張していた。しかし、実際には国家によって選抜されたメンバーを専門的にトレーニングするシステムが作られており、彼らはもっぱらトレーニングのみを行っていた。事実上プロに等しいこうした選手は「ステート・アマ」と呼ばれるようになる。
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しかし、ブランデージはなおもアマチュアリズムの維持にこだわった。アルペンスキーを中心に、用具メーカーからの供与とその実質的な宣伝を選手が行っていた冬季大会について彼は批判的であり、冬季オリンピックは将来廃止されるべきであると主張していた。そして、IOCは[[札幌オリンピック]]の際に、オーストリアのアルペンスキー選手である[[カール・シュランツ]]に対して、「名前や写真を広告に使わせた」という理由でアマチュア資格違反とみなし、開会式の前に選手村から追放する処分を行った。しかし、これは多くの目には見せしめの処分と映り、結果的にこの年で退任したブランデージの最後のあだ花となった。
 
IOC会長が56代目の[[キラニン男爵]][[マイケル・モリス (第3代キラニン男爵)|マイケル・モリス]]に交代して早々の[[1974年]]のIOC総会で、ついにオリンピック憲章からアマチュア規定が削除されるに至った。
 
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