「嶋崎譲」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
47行目:
 
{{和暦|1969}}、社会党執行部から求められて九州大学教授を辞職し、[[石川県第1区 (中選挙区)|旧石川1区]]から[[第32回衆議院議員総選挙|第32回総選挙]]に立候補するが落選。{{和暦|1972}}、[[第33回衆議院議員総選挙|第33回総選挙]]で初当選する。その後太田派社会主義協会を離れ、[[社会党右派|右派グループ]]で活動。
 
 
{{和暦|1995}}、社会党を離党(翌年、党名改称した[[社会民主党]]から除籍処分)し、[[市民リーグ]]を経て[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]結成に参画。
53 ⟶ 52行目:
引退後、[[静岡県]][[伊東市]]で隠遁生活を送る。
 
2011年10月2826、[[静岡県]][[伊東市]]の病院にて、急性心不全のため逝去<ref>朝日新聞大阪版 2011年10月29日 34面。</ref><ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2011103100565 嶋崎譲氏死去(元社会党衆院議員)] 時事通信 2011年10月31日閲覧</ref>。86歳{{没年齢|1925|1|21|2011|10|26}}
 
== エピソード ==