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エーリッヒ・ノイマンは、哲学、心理学、そして医学を学んだ。1927年、[[エアランゲン大学]]で哲学博士号を取得、1928年、女性精神分析家で外科医の[[ユーリエ・ブルーメンフェルト]](1905年–1985年)と結婚、二人には二人のこどもがいる。主著の『意識の起源史』は[[ユング心理学]]の理論的支柱となり心理学だけでなく[[芸術]]や[[神話学]]の分野にも影響を与えた。
 
1933年には[[ベルリン大学]]で医学の国家試験に合格。ハイデルベルクでは彼は、[[ハンナ・アレント]]の親しい仲間のグループに属していた。1933年、彼はスイスに赴き、1933-34年、そこで[[カール・グスタフ・ユング]]から[[深層心理学]]の研究の手ほどきを受ける。1934年、ドイツ国内での[[ユダヤ人]]迫害の動きが[[イギリス委任統治領パレスチナ]]への移住を余儀なくさせる。彼は[[テルアビブ]]で精神療法の開業をすることになる。
 
。1933年、彼はスイスに赴き、1933-34年、そこで[[カール・グスタフ・ユング]]から[[深層心理学]]の研究の手ほどきを受ける。1934年、ドイツ国内での[[ユダヤ人]]迫害の動きが[[イギリス委任統治領パレスチナ]]への移住を余儀なくさせる。彼は[[テルアビブ]]で精神療法の開業をすることになる。
 
ノイマンは、C・G・ユングの最も重要で、特に最も独創的な弟子とされている。彼は自分独自の学派を打ち立てることになる。ノイマンは、その師の文字通り後継者となるべく立場にあったが、その師よりも一年早く死去している。