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{{クラシック音楽}}
'''アンソニー・ホルボーン'''([[イギリス英語]]では'''アントニー・ホルボーン'''、'''{{Lang|en|Anthony Holborne}}''', [[1545年]]ごろ – [[1602年]][[11月29日]])は、[[イギリス]]後期[[ルネサンス音楽]]の[[作曲家]]。[[シターン]]や[[リュート]]のための独奏曲や、[[ヴァイオル]]・[[コンソート]]のための合奏曲など、こんにちでは[[器楽曲]]のみが注目されているが、生前は[[声楽曲]]や[[詩]]の創作に加えて、[[音楽理論|音楽理論書]]の執筆活動も手懸け、[[ジョン・ダウランド]]から「いとも気高いホルボーン」と呼ばれたように、[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]の宮廷音楽家では並び立つ者のない存在だった。
 
 
== 生涯 ==
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作曲家として同時代から最高の評価を受けており、ダウランドは、『[[エア]]集 第2巻』([[1600年]])の第1曲《僕は見た、あの人が泣くのを ''I saw my lady weepe'' 》をホルボーンに献呈している。ホルボーンは自著の題扉で「エリザベス女王に仕えている」と述べているが、[[1590年代]]には、[[外交官|外交使節]]の一員として、王室秘書官の初代[[ソールズベリー伯]][[ソールズベリー伯ロバート・セシル|ロバート・セシル]]の宮廷にも勤めていた。ホルボーンの庇護者は、ペンブローク伯夫人で作家の[[メアリ・スミス]]であった。
 
 
===作品===