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'''コスタス(コンスタンディノス)・カラマンリス'''({{Lang|el|Κωστας (Κωνσταντίνος) Αλεξάνδρου Καραμανλής}}, [[1956年]][[9月14日]] - )は、[[ギリシャ]]の[[政治家]]で、保守系政党[[新民主主義党]]の党首。[[1950年代]]から[[1990年代]]にかけて数度に渡り[[首相]]、[[大統領]]を務めギリシャ政治を牽引した大政治家[[コンスタンディノス・カラマンリス]]の甥にあたる。前首相。
 
[[1950年代]]から[[1990年代]]にかけて数度に渡り[[首相]]、[[大統領]]を務めギリシャ政治を牽引した大政治家[[コンスタンディノス・カラマンリス]]の甥にあたる。
 
== 経歴 ==
1956年9月14日に[[アテネ]]で生まれ、[[アテネ大学]]法学部に学んだ後、[[アメリカ合衆国]]の[[タフツ大学]]フレッチャー法律外交大学院で[[大学院]]教育を受け、[[国際関係論]]と[[外交|外交史]]により政治学博士号を取得した。
 
[[1989年]]の選挙で、伯父が創設した新民主主義党の所属で[[テッサロニキ]]選挙区に出馬し初当選。[[1997年]]、党が前年の総選挙で敗北した後を受けて党首に選出されたが、[[2000年]]の総選挙でも与党[[全ギリシャ社会主義運動]](PASOK)に敗北した。
 
[[2004年]]3月7日の総選挙で若き党首として新民主主義党を勝利に導き、3月10日にギリシャ共和国の首相に任命された。彼はギリシャにおける最年少かつ初の戦後生まれの首相である。同年5月に、[[トルコ]]の[[エルドアン]]首相との会談で、トルコのEU加盟を支持すると発言した
同年5月にトルコの[[エルドアン]]首相との会談でトルコのEU加盟を支持すると発言した。
 
[[2007年]]の総選挙でも支持率を落としながらも辛勝し、政権を維持した。しかし、世界的な経済危機の影響等から経済が低迷し、若者の暴動が起きるなど社会不安が増大し、支持率が低下した。このため、[[2009年]]秋に議会を解散して国民に信を問うたがPASOKに敗北し、下野することになった。
 
== 外部リンク ==