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{{Otheruses|潜水艦の座礁事件|お酒の飲み方|オン・ザ・ロック}}
[[ファイル:S-189 in Saint Petersburg.JPG|thumb|300px|座礁した潜水艦の同型艦(2007年撮影)]]
'''ウィスキー・オン・ザ・ロック''' (Whiskey on the rocks) 事件とは、[[ロシア海軍|ソ連海軍]]の[[バルチック艦隊]]に所属していたウィスキー級潜水艦(Whiskey class submarine, [[613型潜水艦]])U-137が、[[1981年]][[10月27日]]に[[スウェーデン]]の[[領海]]内で[[座礁]]した事件。両国政府間の大きな政治的問題になった。
 
== 事故の概要 ==
[[ソビエト連邦]]の[[通常動力型潜水艦]]([[ディーゼル・エレクトリック方式]])ウィスキー級(この名称は[[北大西洋条約機構|NATO]][[NATOコードネーム|コードネーム]]で、ソ連ではプロイェークト613と呼称)は、[[ドイツ]]の[[Uボート]]の派生型であり、当初は沿岸警備潜水艦であったが、一部が誘導ミサイル潜水艦として改造されていた。
 
'''U-137'''(ソ連側呼称は S-363)はウィスキー級潜水艦の1隻で、バルチック艦隊に所属していた。1981年[[10月27日]]の夜、U-137は推進動力を充電する為に浮上し微速航行していた。この潜水艦は上層部から他国の領海を侵犯する作戦命令を受けていなかったが、ここから前代未聞の事故を起こすことになる。
 
艦長のピョートル・グージン (Pyotr Gushchin) [[少佐]]は配属されたばかりであったが、問題を引き起こしたのは当夜操舵を任された航法士官である。彼は兵学校を卒業したばかりの新人で、経験不足であった。艦橋の見張り員は潜水艦の左右に黒いものが見えると報告していたが、彼は油の帯であり問題ないと無視していた。しかし実際は岩礁であった。これは彼の航法ミスで、実際よりも180[[キロメートル]]も位置がずれていたことに気付いていなかった。そのためU-137はソ連沿岸を航行しているつもりが、隣国のスウェーデン沿岸を航行しており、スウェーデン領海に意図しない侵犯をしていた。そしてついに、とある岩礁に乗り上げてしまった。
 
朝になって、潜水艦が座礁したのはスウェーデン東岸の[[カールスクルーナ]]からわずか10キロメートルの地点であることがわかった。しかもカールスクルーナにはスウェーデン海軍の基地があった。意図しない操船ミスでの侵犯とはいえ、そこが偶然隣国の[[軍港]]の目の前であったため問題が深刻化した。スウェーデンはNATOに加盟していない中立国であったが、ソ連の友好国でもなかった。
 
この時期スウェーデンでは[[漁船]]の魚網が引き裂かれる事例が多数あり、ソ連潜水艦による領海侵犯が日常的に行われている証左とされていた。この事故もソ連が故意にスウェーデンの領海に侵入していて、座礁したと思われていた。スウェーデン政府の見解では軍港の目の前に座礁したのは当時スウェーデン海軍が行なっていた[[魚雷]]のテストを偵察するためであるとされた。
 
スウェーデン側は離礁のための[[タグボート|曳船]]を差し向けたが、艦長はこれを拒否、副艦長のワシーリイ・ベセージン (Vasily Besedin) [[政治将校]]は、[[手榴弾]]をポケットに詰め込んで艦橋に仁王立ちし、スウェーデン側が乗艦しようというものなら自沈する覚悟であるとの意思表示をした。その一方でソ連側は航法ミスによる事故と説明し、領海侵犯の意図がなかったとして航海日誌を提出したが、今度はソ連潜水艦のお粗末な航法ミスを世界に知らしめる事態となった。そのため、当該事故を「ウィスキー(級潜水艦)・オン・ザ・ロック(岩礁)」と揶揄されることになった。
 
スウェーデンの[[スウェーデン沿岸警備隊|沿岸警備隊]]に包囲されたU-137が解放されたのは、ソ連・スウェーデン両国政府の合意が成立した11月6日のことであった。なお、スウェーデン国防調査局が、U-137に[[核兵器]]が搭載されている事実を掴もうとして[[放射性物質]]を測定したところ、艦内に[[ウラン238]]と思われる反応があったが、確証を得られるまでには至らなかった。これはソ連当局がU-137に核兵器を搭載していると認めなかったからである[http://webex.maritima.se/process.asp?content=U137&selectedID=UID40a0b18bc5c7d8]。
 
ただし、後にベセージンはU-137に搭載されていた10発の魚雷のうち一部が[[核弾頭魚雷]]魚雷であったことを認めたという[http://www.aftonbladet.se/vss/nyheter/story/0,2789,916366,00.html]。また、艦長は事故後解任され地上勤務になり除隊したという。
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しかし2006年、同艦乗り組みの政治士官、ワシーリイ・ベセジン(Vasily Besedin)がインタビューに応じ、新しい情報を提供した。同艦には二重の航法システムがあり、乗員の練度も高く、艦長ピョートル・グシュチン(Pyotr Gushchin)もトップクラスの逸材であったという。同艦には「危険の際に助言するため」参謀将校のヨーシフ・アヴルケヴィッチ(Joseph Avrukevich)も乗り組んでいた。ベセジンは、事故の原因は航法士官の計算ミスだったと語った。[http://www.svd.se/dynamiskt/inrikes/did_13936377.asp]
 
U -137が座礁した地点は当時軍事ゾーンに指定されており、外国人(艦)の立ち入りは禁止されていた。しかも座礁地点は、カールスクーナ軍港から大型艦が外洋に出るための2本しかない航路の1本をふさぐ位置にあった。U -137は沿岸の群島の内側までは入っていなかったものの、座礁地点まで来るためには少なくとも2回の正確な進路変更を要するはずであった。
 
スウェーデン国防調査局([[Totalförsvarets forskningsinstitut|Swedish Defence Research Agency]])が、特別な装備を載せた沿岸警備艇を使ってひそかに艦体内の[[放射性物質]]を測定したところ、艦内にまず間違いなく[[ウラン238]] と思われるものが見つかった。同局ではこれを核兵器、左舷上部発射管内にある魚雷だろうと推定した。この魚雷弾頭の[[核出力]]は、[[ファットマン|長崎原爆]]とほぼ同等と推定された。しかしソ連当局は、U -137 に核兵器が搭載されていたと公式に認めたことはない。[http://webex.maritima.se/process.asp?content=U137&selectedID=UID40a0b18bc5c7d8]
 
ワシーリイ・ベセジンが後に語ったところでは、一部の魚雷は核弾頭を積んでおり、もしスウェーデン軍が艦を捕獲しようとした場合には核弾頭を含めて艦を破壊するよう乗組員は命令を受けていた。[http://www.aftonbladet.se/vss/nyheter/story/0,2789,916366,00.html]. この事件に関与したロシアの士官や海軍高官に対して、最近行なわれたインタビューや調査によると、もしスウェーデン軍が艦を捕獲しようとしたら核魚雷をスウェーデンの目標に対して発射せよと艦長は命令を受けていた。{{要出典|date=January 2007}}