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=== 黄檗の三筆 ===
和様が衰退した鎌倉時代に中国から[[僧|禅僧]]が来朝し、日中両国の禅僧によって再び中国の書風([[蘇軾]]・[[黄庭堅]]・[[張即之]]などの宋代新興の書風)が注入された。この禅僧による書は[[日本の書流#唐様禅林墨跡|墨跡]]と呼ばれ、宋画とともに珍重されて[[将軍]]や[[大名]]の間で賞玩されるようになった。さらに室町時代に[[茶道]]が生まれて次第に隆盛におもむくにつれて、茶道と禅とが結びつき、茶会にも墨跡が用いられるようになった<ref name="ueda196"/><ref>藤原鶴来 p.289</ref><ref>鈴木翠軒 p.142</ref>。
 
江戸時代に入り、[[明]]の動乱を避けて日本に渡来して[[黄檗宗]]を伝えた[[隠元隆き|隠元隆琦]]・[[木庵性トウ|木庵性&#x746B;]]・[[即非如一]]の3人は、黄檗僧の中で特に能書で、その筆跡も墨跡として尊重された。3人は'''黄檗の三筆'''と呼ばれ、その中国書法が初めは[[北島雪山]]に、次にその弟子・[[細井広沢]]に継承され、さらに[[儒学者|儒者]]たちの間で一世を風靡し、[[日本の書流#唐様|唐様]]ブームが巻き起こった。一方、和様は[[御家流]]が[[江戸幕府]]の公用書体として採用され庶民にも広まった。かくして日本の書は唐様と和様に二分されたのである<ref>名児耶明(年表) p.57</ref><ref name="yamauchi58">山内常正 pp..58-59</ref><ref>鈴木晴彦 p.145</ref>。